津次郎

映画の感想+ブログ

孤独な戦い あのこと (2021年製作の映画)

あのこと

3.8

1950年代のフランス。
妊娠した女学生が堕胎のために奔走する様子がたんたんと描かれる。

当時中絶が重罪だったことで医者から見放され、アンヌ(Anamaria Vartolomei)は誰にも打ち明けず、ひとりで向き合って苦しみぬく。
その意味で、17歳の瞳に映る世界(2020)やムンジウの4ヶ月、3週と2日(2007)よりも見ていてつらかった。
ほとんど恐怖映画。

2022年にノーベル文学賞を受賞した仏作家アニーエルノーの自伝小説L'Événementの映画化──とのこと。ウィキによればアニーエルノーは著作のほとんどが自伝だそうだ。

妊娠を誰にも言わないところに特有の気質を感じた。
個人差もあるだろうが、依頼心がなく、すべて自分の問題として解決しようとするところにフランスの冷徹な個人主義を感じた。

エルノーの親はカフェ兼食料品店を営む労働階級だったそうだ。迷惑をかけまいとする頑なな自立心が、フランス人らしくもあり作家らしくもあった。

ウィキ情報だが、ダルデンヌ兄弟のロゼッタ(1999)を引き合いにしている批評家がいて、はげしい共感をおぼえた。
近接カメラのリアリティ表現も、ひどい条件下で不屈の人物像もたしかにロゼッタだった。

この映画は2021年のヴェネツィアで金獅子賞、併せてAnamaria Vartolomeiの演技も賞賛された。監督はAudrey Diwan。もとは脚本家であり、長編の監督は2本目だそうだ。

個人的に創作物に子宮感覚なんてないと思っているが、この映画は女性が監督していることがよくわかる映画だった。
17歳の瞳に映る世界(Never Rarely Sometimes Always)を見たときもそれを思ったが、妊娠の話だけに、どうしようもなく顕われてくる生理的情緒があった。
どこが──という指摘はできないが、たしかに女性が描いている(監督している)ことが解った。

ただ、それはAudrey Diwanが有能だからであって“女性だから”ではない。
すなわち、この映画は女性が監督をしていることが解るけれど、それは女性だから女性感覚や痛みを体現できた──のではなくAudrey Diwanの脚本家のキャリアと演出家としての力量によってそれが体現できたのだった。
(いい映画があり、監督が女性で、堕胎を描いている──となるとフェミ界隈が寄ってきて女性感覚や女性権利を標榜してしまうが、女性であることの前段に映画技術がある──ということを言いたかった。)

中絶ができる限界期をあらわすように週毎にテロップが入る。
編み棒で掻きだすも失敗し、お金をつくって闇稼業の堕胎婦のところへ。
全体を通じて彼女は泣き言を言わず誰のせいにもせず愁嘆場もなかった。
その強さを支えたのは向学心だったにちがいない。
見た後で原作がアニーエルノーという作家で2022年にノーベル文学賞をとったというのを知って腑に落ちるものがあった。

一種の“ファイター”を描いていると思う。彼女の体験は“戦った”としか言いようのないものだった。