津次郎

映画の感想+ブログ

生理的 TITANE/チタン (2021年製作の映画)

TITANE/チタン [DVD]

3.3
たとえば園子温や蜷川実花のバイオレンス/グロテスク描写に恐さを感じない。過激化は彼/彼女の“どや”を絵にしたものだ。すげえだろ──と見せられる絵にすげえはない。

Julia Ducournau監督のバイオレンス/グロテスク描写は恐い。“どや”がないのはもちろん発想の根拠がわからないから。どうしてそうなのかわからないのでアドリアン(Agathe Rousselle)の凶暴が恐い。

かつてRaw(2016)のレビューにこう書いた。

『何年も映画を見ていると、どんなに突拍子もないアイデアにも、そう驚かなくなる。発想の出発点から、映画に仕上がるまでの内的プロセスに、ある種の納得を得られるのが普通。それができなかった。』

Titaneにも共通するところがある。
車と交尾して身ごもったアドリアン。衝動型の殺人鬼。じぶんの痛みも他人の痛みも関知しない。近づいた人を発作的に殺傷し、かんざしを膣へ刺して堕胎をこころみ、顔面をシンクへ打ち付けて鼻を折る。人間感覚がない。そして人間感覚がないことに、理由をみつけることができない。→恐い。

映画は頭にチタン製のプレートをはめた女──というだけで科学的ロジックはまったくない。ひたすら感覚だけで持っていく。その生理感とレイブのようなポップスタイルが並立していた。

クリティカルレスポンスは高評価寄りだが、かんぜんな否定派もいた。
何人かの批評家がクローネンバーグのクラッシュ(1996)を引き合いにし、Varietyのレビュアーはクラッシュと三池崇史の極道恐怖大劇場牛頭GOZU(2003)の融合である──と評していた。(外国人はあんがい日本人があまり知らないひとくせある日本映画を知っている)

一方、否定派はスタイリッシュだったRawに比べての粗雑感やトランスフォビア(トランスジェンダーにたいする嫌悪や恐怖)やミソジニー(女性憎悪・嫌悪)の気配を批判していた。

じぶん的にはそれらの中間点の印象をもった。
Julia Ducournauの感覚は奇抜だが、Rawとくらべると洗練度は落ちる。
狂的なアドリアンが、パパ(ヴィンセント・リンドン)と出会って、ヒューマニズムに目覚めていくような展開には常套性を感じた。また子の誕生によってなんとなく光明がさしこむようなエンディングへ落としたのは白けた。

本作はカンヌ映画祭(74回、2021)でパルムドール(最高賞)を獲っている。
審査委員長はスパイクリー。
雑感だが、カンヌ映画祭は、ズバ抜けた映画がある回と、佳作が横並びする回とがあるが、74回はなんとなく後者だったように思う。が、チタンをほめちぎったスパイクリーの目からは前者だったのかもしれない。
(カンヌ映画祭は審査委員長の裁定権がとても大きい。コンペにはドライブマイカーも出品されていたがスパイクリーがドライブマイカーを選ぶわけがない。)

とはいえこんなヘンな映画はJulia Ducournau監督しかつくれない。

子宮感覚という言葉がある。子宮感覚とは無能な女性クリエイターが低品質な作品への辛辣な批評を回避したいときに使う言葉だ。(かんたんに言うと「女なんで許してね」と言いたいときに使われる)オムニバス映画「21世紀の女の子」に名を連ねている女性監督なんかが好んで使う。

ただしJulia Ducournau監督には子宮感覚を感じる。明瞭に“女がつくったもの”を感じとれる。
なお女性のパルムドールはジェーンカンピオン監督(The Piano、1993)に続いて史上二人目だそうだ。
ちなみにバイオレンス映画ではないがバイオレンスをつかって映画をつくる河瀬直美氏はグランプリ(次点)なので含まれない。