津次郎

映画の感想+ブログ

振り回す女 わたしは最悪。 (2021年製作の映画)

わたしは最悪。

3.4

奔放な女性の遍歴。

古い引例だが結婚しない女みたいな映画だった。
が、経年分表現は尖っていた。
女性もジルクレイバーグほど柔和じゃなかった。

その時、自分を輝かせてくれる男がすきになる女性。直感で別れたり、さらりときついことを言ったりする。いわゆる地雷系。

彼女自身その自覚があり、ひとしきり気分で生きると“ぶりもどし”(後悔)がやってくる。顧みて思うのが「わたしは最悪」──という話。邦題には句点がついていた。

本作は(ドライブマイカーが出品された年の)カンヌで絶賛され、結果的にとらなかったが有力候補とされた。審査委員長がスパイクリーでなかったらとっていたかもしれない。

Imdb7.8、RottenTomatoes96%と86%。
批評家も一般もすこぶるいい。
ヨアキムトリアーは挑戦的でタフなのをつくる作家だったのが、ノーラエフロンみたいなロマンチックコメディになっている意外性とRenate Reinsveの熱演が高評価へつながった。

個人的には筋にも特別なものは感じられず、ユリア(Renate Reinsve)のキャラクターもよくある奔放さで、会話もクリシェだったと思う。

“奔放”とは子供が古い玩具にあきて新しい玩具に行くのとおなじことで、そんな感覚的なことに理屈はない。奔放な女がいかに「男ができた」を糊塗するかが描かれる──わけである。

ジルクレイバーグやマーシャメイソンが演じた昔の“女性映画”は男に振り回される話だったが、今は女性が振り回す話になっている。

ユリアの“奔放”は特別なものではなくあるていど誰にでもある打算又は優柔不断が表徴されたものだったが、とはいえ面倒な女だなあと感じる度合いが映画からの感興を上回ってしまいそうなのは辛かった。w。

だがオスロの景色はよかったし居住空間や調度に北欧らしい瀟洒があった。日本とは違い街はどっちを向いてもきれいで草木の気配があった。

また感情表現には工夫があり一定のアート値もあった。

どこまでものびるファルセットをだすMorgan Jamesの曲でCall My NameというのがあってそのPVで自分以外動いていない街がでてくる。そこからもってきたようなハイライトシーンだと思った。