津次郎

映画の感想+ブログ

アーミッシュのような共同体 ウーマン・トーキング 私たちの選択 (2022年製作の映画)

ウーマン・トーキング 私たちの選択

3.5

プロテスタント一派の共同体。
暴行事件をきっかけにコロニーを去るか、戦うかを話し合う女達。

アーミッシュのような世界だがタイトルの通り話し合いに占められていて敵=男がでてこない。細部が省略され舞台劇のようだが、実話にもとづいた話だそうだ。

カナダのMiriam Toewsという人が2018年に書いた同名小説の映画化。メノナイトのコロニーで実際に起きた事件を扱っている。

『2005年から2009年にかけて、ボリビアのマニトバコロニー(メノナイトのコミュニティ)では、100人以上の少女や女性が、コロニーの男たちによって、動物用麻酔薬で鎮静させられ夜間に自宅でレイプされた。加害者の親族を含む少女や女性たちがこれらの襲撃を報告したが、最初は「女性の野生の想像力」として片づけられ、さもなければ幽霊や悪魔の仕業とされた。やがてコロニーの男たちが現行犯で捕まった。最年少の被害者は3歳で、最年長は65歳だった。犯人は、獣医師が医療処置の際に動物を鎮静させるために使用するタイプのガスを使用していた。有罪判決を受けた男たちには長い拘禁刑が科されたにもかかわらず、2013年の調査では、同様の暴行やその他の性的虐待の事例が続いていることが報告された。カナダの作家ミリアム・トゥーズは、これらの犯罪を2018年の小説『Women Talking』で取り上げた。』
(Wikipedia「Mennonites」より)

コロニーには学校もあるが女子は教育が受けられず字が読めない。話し合いには読み書きができる男性がひとり議事録係として参加している。かれはコロニーから追い出された過去がある言わばはみ出し者だが女達の味方でもある。

とくに宗教立国ではない日本では敬虔な信者といえば異質な人に見られる、のではなかろうか。それがどんな宗教であろうとやや特殊な印象をうける。肯定も否定もしないが、距離を置く感じ。

宗教に没入するばあい当人は望んでその立地にいるのだからそれでいい。が、息子や娘はそうはいかない。──というのが昨今の二世問題だが、アーミッシュのように同信者のみでコロニーをつくって暮らすタイプの宗教では基本的に二世問題が生じない。

──と思いきや、ウーマン・トーキングの争点となるのも、一種の二世問題といえる。

男子しか教育されないが、そこで男尊女卑な思想を植え付けられたから、男達はDV夫になり、集団強姦のようなことがおこる。であるなら女達を襲った男らも隔離型宗教の犠牲者と言えなくもない。よって女達の話し合いの結果、まだ感化されていない少年らも連れて出ていくしかない──との結論が導き出される。

Abused Womanの映画、Brimstone(2016)やThe Nightingale(2018)みたいなつらいのを想像していたがエネミーが描かれないのとディスカッションに終始するため、さほどつらくはないが、虐げられた女たちの叫びが伝わってくるドラマだった。

映画は抑制があり、アンサンブルでそれぞれの個を光らせ、監督もキャストもあちこちで多数のプライズをとった。個人的には控えめで理知な議事録係オーガスト役のベン・ウィショーがいちばんだった。

一般にフェミ映画は男を全員悪に仕立てて対立構造をとる。
それをしないのがサラポーリー監督の賢さだった。

imdb6.9、RottenTomatoes90%と80%。

ただし個人的には、生活が見えず舞台劇のようなスタイルに優等生風まとまりを感じてしまったことと、女達があまりにも達観しすぎていた。オーナ(ルーニーマーラ)は麻酔で昏睡させられたうえ赤の他人のこどもを孕まされたにしては落ち着きすぎなのではないかと思った。