津次郎

映画の感想+ブログ

修羅場好きな人向け ほつれる (2023年製作の映画)

ほつれる

1.0

綿子(門脇麦)と文則(田村健太郎)は文則に連れ子がいるものの都市型のDINKsという感じ。夫婦仲は破綻しているが別れずにいる。綿子は木村(染谷将太)と定期的に不倫旅行をしているが、その最中に木村は交通事故で死ぬ。一緒にいたことがバレてはまずいので黙止する綿子を良心の呵責が蝕んでいく。・・・。

都市の中産階級の気配。
居住も被服もおしゃれな風情のグランピングとか、週末へ山梨へ行く都会人の感じ、見ているだけでへどがでる。
いかにもビターズエンドに出てくる感じの人種がいかにもビターズエンドで描かれる感じの都市生活を生きていてなんなんこいつらと思った。

浮気は人類のポピュラーな行為だと思う。是非もない話で、そんなことがアートハウスになっているのがしゃくにさわる。不倫して、相手が死んだ。それがどうしたってんだ。たんなる肉欲を不条理ドラマ風にもっていくのがしゃくにさわる。

だいたい綿子と文則は初対面のようにぎくしゃくしており、そういうふたりが同居していることじたいがホラーだった。

孤独が苦にならないことは立派なことではないし、一人であることは誇れる状態ではないと思う。
しかしこれほどまでにうざったいならぜったいやだ──という世界が描かれる。
仲良くやるのが、それほどまでにめんどうでまだるっこしいなら、孤島や僻地や隔離に喜んで志願してやるわ。
ホラーのごとく気まずいのにふたりでいる理由がわからない。とっとと別れろよ。

同監督のわたし達はおとな(2022)と同じで、どうでも修羅場や気まずい空気感を出したいわけでしょ。でもなぜ?その動機や意図が解らない。なんでそんなものを見せたいのか?なにがおもしろいのか?

演技派ともてはやされひっぱりだこの門脇麦だが個人的には不安しか覚えない。不安と気まずい空気感で満たされた映画を見て、どういう種類の感興があるのかわからず。

つまりわたしの考えはこうだ。
わたしたちは日本社会で嫌なことに遭っている。さんざん日本人の嫌な側面を見ている。
それにもかかわらず、娯楽という位置づけの映画において、現実の修羅場と同空気の綿子と文則の痴話喧嘩を聞くのか?門脇麦の絶叫を聞くのか?

ボクたちはみんな大人になれなかったみたいに業界人がつくって業界人が絶賛の帯文を書く内輪映画だと思った。

ただしじぶんでじぶんに嫌なら見るなよとは思いました。