津次郎

映画の感想+ブログ

元ネタはチャップリンの街の灯 ただ君だけ (2011年製作の映画)

4.5
薄幸が鼻につくことがある。
湯を沸かす~は薄幸キャラクター総出で押しまくる。
個人的には臭すぎて無理だった。

魚とおなじで、その臭み耐性には個人差がある。
魚ダメな人は、魚介ソーセージでも無理である。

が、調理には巧いのと拙いのがある。
拙いから薄幸が鼻につく、わけでもある。

がんらい薄幸はドラマの重要なエレメントでもある。
薄幸でシンパシーをかせぐ方法が、だめだと言うなら、創作ができない。
巧く薄幸してくれと言いたいのである。

ジョンファは目が見えない。
すなわち薄幸だが、純心できらきらしていて、薄幸がぜんぜん臭わない。
こんな理屈は通じないことは解っているが、ハンヒョジュが出てくれば、納得できる。
駐車場管理の小ブース。そこへ、とても鮮やかに、映画的に、登場する。
俳優の魅力は、ときとして理屈を超える。

さらにチョルミンのキャラクターが薄幸臭を完全に追いやる。
かれは殺伐とした世界に生きている粗忽な男である。そこに、まるで天使のようなジョンファがあらわれる。
この天使の喩えは大仰とはいえない。
荒々しい世界で、ぜったいに守り通さなければならない、ピュアなもの──という使命感を彼に植え付けるからだ。
その使命感とは、愛にほかならない。

人の温かさを知らずに生きてきた寡黙なアウトサイダーと、盲だが天衣無縫な心根の女が出会い、ふたりが何とかして俗世の荒涼を生き延び、愛をはぐくむ顛末が、山あり谷ありの曲線で描かれている。ものすごく巧い。

元ネタはチャップリンの街の灯だそうである。どうやったらこうなるのか。その凄まじい翻案力。風が吹いたら桶屋が儲かった──みたいなもんである。

情報によると吉高由里子と横浜流星でリメイクされ2020秋公開だそうである。
うーむ。うーむとは眉につばを付けたときの擬情語である。