津次郎

映画の感想+ブログ

いとこ同志(1959年製作の映画)

5.0
いとこ同志についての個人的な解釈です。

ふつう、ものがたりは勧善懲悪をもっている、と思う。
露骨にそうでなくても、悪いことをしたひとは窮地へおちいり、良いことをしたひとは報われる、という帰着点があるはずである。

いとこ同志が新しかった理由は、そうでなかったことにあった。
とても新鮮だった。

しろうとの感想──に過ぎないが、1950年代あたりまでは、映画に、アンハッピーエンドが、ほとんどなかった。

アメリカンニューシネマもヌーヴェルバーグも過去のものなので、わたしには、その両者に先も後もない。

それらの潮流を経て、めでたしめでたしな大団円──では終わらない映画=アンハッピーエンドが、発明された。
なんか、すごくバカっぽい言い方だが、だいたい合っていると思う。

アンハッピーエンドが発明されると、悪行を重ねながら逃避行するボニーとクライドとか、頭にダイナマイトを巻き付けて頓死するフェルディナンとか、暗澹たる結末を持った映画が増えていった。

いまはそれがめずらしくない。

しかし、いとこ同志が、それらよりも、近年の映画さえ──よりも、新鮮なのは、かんたんに言えば、悪い人がむくわれてしまい、良い人がむくわれない世界だったからだ。
それはピカレスクロマンでもカタストロフでも、アンハッピーエンドでさえなかった。

そんな世界が、さりげなく描かれている。

この映画のデマンドの叙説には、こんなふうに書かれている。
クロード・シャブロル監督が『美しきセルジュ』の後に手掛けた第2作で、等身大のヌーベルバーグを体現。みずみずしい青春の光と影を斬新な描写を交えて描き出す。』

汎用な解説としては「みずみずしい青春の光と影を斬新な描写を交えて描き出す」──と曖昧な言い方をせざるを得ないのは解る。
ただ、いとこ同志の真価は、みずみずしい青春でも、斬新な描写でもない。
その非倫理である。
新しい。──と、見た当時、思った。

ところがシャブロルは、それをテーマにしていたわけじゃない。
意識してやった感じさえない。

どこのヌーヴェルバーグの概説でも、シャブロルは、ゴダールトリュフォーに次いで三番手に語られる作家だった。作風も、先鋭なゴダールヒューマニストトリュフォーの中間地点だった。が、私的には「いとこ同志」こそが「ヌーヴェルバーグ」だった。

器用だけれど、散らかった才能の持ち主だった。
ヒッチコッキアンとされており、サスペンスで顕現した、かとおもえば、崩したコメディもある。統一感のない作風だった。
と言っても、晩年まで精力的だったので、多作であり、個人的に見たのは四五作、おそらく全仕事の十分の一に満たないと思う。

だが、個人的に、そのように解釈している。

コリーフィンリーという監督が2017年にサラブレッドという映画をつくった。
オリヴィアクックとアニャテイラージョイが出ている。
あっちの監督は、映画を見ているし、知っている。

映画の正規な情報は、しかるべき解説を参照してもらえばいいが、わたしにとってサラブレッドは、現代に翻案した、いとこ同志だった。