津次郎

映画の感想+ブログ

陰謀論者の踏み絵 ゼイリブ (1988年製作の映画)

ゼイリブ (字幕版)

4.0
よく見るゆるめのニュース系YouTuberが急拡大している五大陰謀論──なるもの、について話をしていた。

それによると今、巷では──
①三浦○馬さん(の自死に関する)陰謀論
②コロナウィルス(が存在しないと主張する)陰謀論
③レプティリアン陰謀論
④NESARA GESARA陰謀論
⑤マッドフラッド/タルタリア陰謀論
──がはやっているそうだ。

④と⑤については知らないが③レプティリアン陰謀論は昔からあった。
世界の要人、大統領や首長は、人間の姿をしているけれど、じっさいは人に紛れて進化した爬虫類人なんですよ──という陰謀論で、しばしば画質の荒い動画などで、その爬虫類的特長を検証したりする。

昨年(2021)わたしの親友がしんだ。かれは陰謀論がだいすきだった。わたしも現実を忘れさせてくれる陰謀論の話題はきらいではなかったのでかれの主張に快く同調した。陰謀論を信じるのも信じないのも勝手にすればいいことだ。

かれは世界にあるさまざまな陰謀に恐怖していたが、しんだ理由は酒の飲み過ぎ(肝硬変)だった。怒りっぽくなる肝硬変に加え、陰謀論者の癪症のようなものが相乗して、晩年のかれはなんでもかんでも八つ当たり発生装置のようだった。

世の中に陰謀or陰謀のようなことがある──として、それがじぶんにどんな関わりを持ってくるかについて、具体的な見識をもっている陰謀論者はいない。
存在しない陰謀を怖れつつ、じっさいには酒の飲み過ぎでかれはしんだのだった。どこかの要人が爬虫類人だったからしんだわけではなかった。

今年(2022)の参院選で1議席を獲得した○○党というのがある。自尊史観、無農薬、外国人排除──右傾を標榜する耳馴染みのいい辻説法で勢力を急拡大した。

わたしもたいがいにばかなにんげんだが○○党を支持する人らはわたしよりもひとまわりばかだろう。何人かのインフルエンサーがしばしば「日本人はばかなんでころっとだまされる」という言い方をするがそれを聞くと(じぶんを顧みることなく)かんぜんに同意できる。

わたしにとって陰謀論とは映画のようなものだ。現実逃避のための娯楽。

対して現実とは、朝起き仕事して寝る、月末に僅かな給与を得る──ことだ。
なんらか変化や向上を望むならば生活をじぶんで改革しなければならない。改革には史観や理想論は使わない。オーガニックの食材は多少関係するかもしれないが、つねに摂取するなら食費だけで労賃が費えてしまうだろう。
まして生活改善に爬虫類人は関係がない。
たぶんどんな陰謀もわたし/あなたの人生になんの関係もない。

よって自助でなければひとつも変わらないことを知っているわたしにとって、陰謀論とは映画のようなものだ。現実逃避のための娯楽である。

ジョン・カーペンターのゼイリブは陰謀論とエンタメが融合した映画として語り草になっている。映画もドラマもまったく見なかった亡き親友もこのカルト映画のことは知っていた。

『私たちが知らないうちに、私たちの決断に影響を及ぼしているのです。
私たちが感じないうちに、私たちの感覚を麻痺させているのです。
私たちが気づかないうちに、私たちの生活を支配しているのです。
彼らは生きている。(They Live)』
(映画のキャッチコピーより)

レプティリアンのように気づかないうちに人類を支配していることや、そのことをサングラスを持っている主人公だけが知っていることが、陰謀論者の自尊心をやたらくすぐった。

陰謀論者の意識や気分を上げているのは選民感覚だ。広い地球でじぶんだけが知っている優越感。そこまでいかなくても党員や信者になることによっていわば“ノアへの乗船資格”を得られる感覚が陰謀への忠誠につながる。

ただしそれは映画ファンの妄想とおなじメカニズムをしている。

映画好きのわたしもずっと秘密のサングラスを手に入れようとしてきたようなもんだった。