津次郎

映画の感想+ブログ

いろいろ盛りだくさん クレイジークルーズ (2023年製作の映画)

クレイジークルーズ

3.4

クリスティ風の古典推理小説的舞台と素人がやむにやまれず即席の探偵業をやるプロットを現代的な風物にのせてコミカルに描いている。

坂元裕二を見ていると「日常生活で面白いと思った現象を全部書き留めているのではないか」という細部が幾つもあって感心させられる。

実直な庶民感覚もあり──
「この世でもっとも愚かな人間、それは店員さんに偉そうな人です。」
──は、しびれるセリフだった。まったくそのとおりだ。

伏線を散りばめまくってそれがひとつひとつ回収されていく様は見事というほかなく、鑑みてこうやって仔細に人物や現象を積み重ねる脚本を書く脚本家は他国にも類例が思い当たらない。

器用なだけでなくじんわりとエモーショナルなところもありで、まったくのところ、だてにカンヌ脚本賞を獲ったわけじゃなかった。

俳優では岡部たかしが気になったのと潤浩という子役が光っていた。
潤浩はゆんほというのだそうだ。すでに有名子役なのかもしれない。潤浩くんが演じる家政婦の息子が本作のキーパーソンになっていて、コメディで進行しつつヒューマニズムを魅せる片側もありで、かさねがさね感心させられる脚本だった。

さまざまなエレメントが交通渋滞して拍子抜けするところはあるものの、客船周りの拓けた眺望がつくる撮影も明媚で、なにより日本映画の嫌味がなくネットフリックスの一夜を過不足なく満たすさわやかなコメディだった。

──

メディアの持ち上げ度によって名実が成り立つのが日本。
たとえば三谷幸喜はよく持ち上げられる。だけど三谷幸喜ってそんなに面白い?面白くないとは言わないが、個人的にそれほどじゃない。
それに比べて板元裕二は面白いわりにメディアの持ち上げ度はほとんどない。
三谷幸喜はたまさか引き合いにしただけで罪はなく、言いたいのはマスコミがさかんに持ち上げているクリエイターやアーチストがほんとにいいのかという話。有名無実なやつが君臨している現象って結構あるよねという話。

だから、じぶんの内なる評価がメディアの持ち上げ度によって形成されたものなのか、じぶんが自力で発掘したものなのか、いちど検証してみるのがいい。

──

余談だが、かれらが活躍していることに文句はない。
しかしなぜ日本映画にはかならず安田顕と岡山天音が出てくるのか。
なぜ日本の映画(やテレビ)の助演俳優は集中稼働になるのか。
日本にはテレビや映画に出たがっている役者がいないのか。
韓国にも「この人よく見るなあ」と思わせる中堅助演俳優がいる。
だけど韓国はそういう中堅助演俳優が山ほどいる。
が、日本には安田顕しかいない。
なぜ新しい俳優にやらせないのか。

見知った顔しか認めないのは多様性の問題でもある。個人的には見たことのない俳優が映画やテレビに出てほしい。日本の人口が高齢者でどん詰まりになっている現象と、有名俳優だけで構成され刷新交替がなくどん詰まりになっていく業界の現象がかぶっていると思った。