津次郎

映画の感想+ブログ

スイッチ(2020年製作のドラマ)

2020年/ドラマ/スイッチ

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4.5
坂元裕二に「おっ」となって見た。
坂元裕二は面白い。

日本のばあい、面白いドラマと面白くないドラマが、かんぜんに並列になる。
うまく言い得るか解らないが、世論のなかで、どうしようもない拙作と、すぐれた脚本家が、なんとなくおなじテレビドラマとして受理されてしまう──みたいな気配がある。わりと納得がいかない。とりわけ映画では、つまらないものしかつくれないのに、巨匠や重鎮や七光りを理由に容認される現象が強い。個人的には創作に民主主義はいらないと思っている。

坂元裕二は面白い。ぜんぜん違う。三谷幸喜のように持ち上げられていい。おそらく、三谷幸喜が持ち上げられるのは業界の権勢にもとづいた構図なのだろうが、坂元裕二のほうが(安定して)面白い。(と個人的に思った)。

本作を見て、坂元裕二の特性について個人的に気づいた点、四つ。

①坂元裕二は不自然。会話にリアリティがない。登場人物は、考え抜かれた、当意即妙な比喩や隠喩を言い交わすので、いわゆるリアルな(現実的な)会話にはならない。でもリアルなドラマだと思う。そのばあいのリアルは「迫真の」というような意味になる。

②マーフィーの法則がでてくる。マーフィーの法則という「現実世界において意に反したことになってしまう現象」を網羅した著作があるが、坂元裕二のドラマでもそのメタファーが象徴的に使われる。
たとえば駒月直(演:阿部サダヲ)が冒頭に話すエピソードに、スーパーのレジ待ちに並んだとき、じぶんの列がもっとも遅くなる現象──「「あっちのほうがはやく進んでいるぞ」と思って移動した先のレジより元居たレジのほうが早く進む現象」がある。
マーフィーの法則は人生のやるせなさを表した楽しい法則で、坂元裕二の「らしさ」がでる。
むかし見た坂元裕二のドラマ(anone)で、同じ阿部サダヲが演じたキャラクターが、(FRISKのような)タブレットを出そうとすると、どうしても一個だけが出せない──と嘆いていた。
腑に落ちて、なんとなくやるせない「魅力的なエピソード」を語るのが、まるでカートボネガットのように巧い。

③独特な人物像。日本のテレビドラマでは想定内のキャラクタライズがなされることが一般的だが、坂元裕二では妙な人物が基調になっている。蔦谷円(演:松たか子)がハト嫌いで、マンションのベランダにくるハトを撃退しようと試みている。ドラマの最初で、買い物袋にバードスパイクが入っている。一般にドラマでは希少性のある趣味や状況がないがしろにされ、(登場人物は)ありがちな趣味や状況を持っていることがほとんどだが、坂元裕二はそこをしっかり工夫している。

④諧謔的になっているものの、駒月直と蔦谷円は、けっこうシリアスな一蓮托生の出自によって結ばれている。笑わせながら、過酷な運命をしっかりと浮かび上がらせて、見事というほかなかった。

ところで、外国映画において──、お互いに気分が高揚しまくった男女が、興奮状態になって、互いの唇を貪るようにチューして、抱き合った体のまま、服を脱ぐのももどかしく、あちこちにぶつかり、あちこちに服を撒き散らしながら、ベットにたどり着いていたす──という、やたらよくあるシークエンスがある。

このドラマのラストでもそれがある。そうとうなロングテイク(長回し)でふたりとも巧かった──ものの、なんとなく日本人向きなラブシーンではないな──と感じた。

新型コロナウィルス禍下で、世の中が壊乱している。理不尽な事件が増えている。ひどい犯罪を見聞きしたとき、刹那的にせよ、無縁なことにせよ、怒りがこみ上げ、こいつを俺の手で亡きものにできたら・・・と思ってみることがある。世の中には生きているひつようのない奴がいる。だから蔦谷円の気持ちがわかる。ような気がした。