津次郎

映画の感想+ブログ

“韓国”と相反する韓ドラのかしこさ マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~ (2018年製作のドラマ)

4.5
日本のドラマを見ていてばかだと思うことがあるが、このばかは愛着をこめた「おばか」ではなく拙劣や暗愚や未熟や短慮や無知・・・などのむかつきを感じるばかである。簡単に言うとなんだこれふざけんな──という感じ。統計はないが肌感として粗悪なものが多い気がしている。エンタメ系ニュースでもドラマの悪評は絶えない。そのたび嫌われてしまうのは胸糞な役を演じなきゃならない女優さん男優さんである。気の毒だ。

しかし基本的に日本人は頭のいい人種だと思う。
だがドラマや映画でそれを感じることは少ない。
この感覚と完全に対照になるのが韓国である。

個人的に韓国は○○な国であり、人たちだと思っている。国として日本に言ってくることはむかつくことばかりだし、報道に見られる韓国内のカオスや自殺率、○○でないとしても客観的にみて妙な国であり、人たちなのはまちがいない。

ところが韓国のドラマや映画は日本製よりずっとかしこい。大統領が全員タイホされる国とは思えないほどの知性にみちている。いわゆる「おばか」なノリのドラマも日本製より巧い。知っての通り、徹底した「おばか」は、作り手のかしこさのあらわれでもある。
シリアスなのもおばかノリも日本は韓国にかなわない。

これらのエンタメの巧妙さは他国人からのシンパシーを韓国にもたらしているにちがいない。

韓国発信のアイドルが世界を席巻し、(ネットフリックス等の)VODが発達した今では、むしろ韓国に好意をもっている日本人のほうが多数派だと思う。
すこし前までは嫌韓という大勢力があったが今はあまり目立たなくなった。

韓国と因縁のある日本人がそうであるなら、国家間になんのわだかまりもない他国人ならばなおさらだ。

日本では日本であるがゆえに、日本のアニメがせかいじゅうで人気がある──との報道がよくあるが、韓国製エンタメ──パラサイトやミナリやイカゲームやBTSなどによる成果は、日本のアニメ以上のものではないだろうか。

その実態は、統計がないのでわからないが、グラミー賞などでBTSに浴びせられた(ものすさまじい)アメリカ人の黄色い歓声をみたとき、もはやちがうフェイズにある──と感じたことがある。

すぐれたエンタメは、かれらを正義にみせてしまう。──この仮説はじぶんが(たとえば)アメリカの映画を正義だと思って見ているときに実証できる。

マイディアミスターは、おじさんと若い女との異質な関係をつづっていくドラマ。ふたりに男女関係はなく、奇妙な友情でつながっていく様子が描かれる。ノワールでもあるが、市井のふんいきも併せ持っている。説明しずらいドラマだが、主題は宿命と寂寥(寂しさ)、だろうか。

登場人物は全員が、辛いさだめやわだかまりや闇をかかえている。生きることのやるせなさが、画やソンギュンとIUの表情から、つたわってくる。
登場人物の数も相関も多彩。筋も豊富。主軸ストーリーと副軸、脇軸のストーリーが縦横にからまる。
構造も演出も舌を巻くドラマだった。

何話だったか覚えていないが、強風の晩、構造エンジニアのパク(ソンギュン)はビルのひび割れと水平器をしらべる。それからジアン(IU)と並んで帰宅するシーンがある。長回しをつかって歩調と会話がリンクする。そこで外力と内力の話をする。建築学術上の外力/内力をつかって人生をたとえ、ひとつの逸話を話す。
ドラマでこんな知的な低回をする会話は、ほとんどはじめて見たと思う。どうかんがえてもばかではないひとたちが作ったドラマだった。

そのようなドラマの品質からわかるのは、作り手がばかか、ばかではないか──というより、作り手が、見る人をばかにしているか、ばかにしていないか──かもしれない。

主観で勝手なことをぬかしている庶民にすぎないが、日本の粗悪なドラマや映画をみたとき、むしょうに腹が立ってしまうことがある。なんであんなに腹立つんだろうな。とか思い返してみるとやはりばかにされた気になるから──なんじゃなかろうか。