津次郎

映画の感想+ブログ

セヲル号の遺族 君の誕生日 (2018年製作の映画)

君の誕生日(字幕版)

4.1
セヲル号の件ではずさんさを感じた。船長がまっさきに逃げるなんて、どんな国・民なんだろう。と思った。聖水大橋や三豊デパートの崩壊についても、事故そのものより、国や人のずさんさを思った。
だが時間がたち解明されたことを見たりすると、それらが社会の軋轢から起きたことに思えてくる。船長は、アルバイトで代打だった。事故が、運営の体質や、労働環境にも基因しているわけである。

いきなり瓦解する橋や建物、混乱だらけの沈没。
たんに「ひでえ話」なのだが、自省した映画となれば、なるほどと溜飲するところがある。たとえば聖水大橋の崩壊を若年期におきたことの象徴ととらえた映画はちどりがそうだった。
ただそれは、韓国が映画産業に熱心だからでもある。いい映画をつくると、聖水や三豊やセヲルの件が、第三者から見て納得できる歴史のなかの事故事件としておさまる。のである。映画の発展は、その国を理知な国に見せてしまうことができる。と個人的には思う。

そもそも人災はどんな国でもある。わが国でいえば福知山線や雪印食中毒、東海村の臨界事故・・・311の地震、津波。
日本人は頭がいいが、映画産業に力をいれてないために、いい映画で事故・事件を自省することができない。ひじょうにもったいない。

韓国のばあい、エンタメが獲得する外貨と、エンタメが獲得する汎用な信頼性のことを知っている。アイドルや映画を磨けば、外国人が韓国を好きになってくれることを知っている。それは国家間の社交性と呼べるものではないだろうか?政治の破綻ぶりに比べて、エンタメ事業は、信じられないほどに巧くて冷静だと、つくづく思う。

日本でも国をあげて力をいれたほうがいいと思う。
日本で現況、映画を発展させようとしている機関は、たぶん、お金のない閉鎖的な映画サークルのような団体だと思う。そうじゃない。こまっしゃくれた映画はつくらなくていい。映画技術の基本をおしえる映画の学校をつくるのが日本の課題であり、映画を目指してくるひとたちに「おまえの個性なんか20年早いわ」と教えてくれる映画学校が日本映画の急務だと思う。

それはいいとして。
セヲルの遺族のなかの温度差がはげしい。補償金もらってもいいと思うが、なんとなく、決別できない想いがあるのは、映画を見てわかった。我が子のことを思い出し、なおも幻影のなかに生きてしまう母親。その時にいなかったことで罪悪感に苛まれる父親。板ばさみになってしまう妹。毎晩の泣き声に困らされる隣人。隣の娘さんのセリフに「あの泣き声のせいで大学に二度も落ちたのよ」というのがあった。

韓国でもっとも演技派の代表男優はソルギョングであり、代表女優はチョンドヨンである。これは主観はもちろんだが、客観的にもおおむねそうであろう。その二人を揃えて、がっぷりよつで、大騒ぎせず、誰も責めずにセヲルの件を描いており、好感がもてた。感動ポルノな演出じゃないが、話の都合上なみだを免れないところはある。クライマックスで亡き子の誕生会があるが、たいへんだった。役者も見てるほうも。

それで、この落ち着いた演出が初監督作品とのことだった。はちどりを見たときも思ったが、やっぱり産業としての根幹が違う。基本と基本的なことを教えてくれる映画学校の存在を優れた韓国映画を見るたび感じる。