津次郎

映画の感想+ブログ

Sweet Home -俺と世界の絶望-(2020年製作のドラマ)

Sweet Home -俺と世界の絶望-

4.0
ひとことで言うとずっと一緒に戦ってきた者が死ぬことの恐怖と悲しみが主役。

ここで繰り広げられているポストアポカリプスorディストピアが、とても新しい、わけではないし、市民(非戦闘員)の闘争が描かれているだけで、ストーリーに起伏があるわけでもない。

だが、ひとり、またひとりと死んでいく。
そして、死んでいく者が、セリフもキャラクターも与えられている準主役的な人物であることが、この他愛ない終末譚に、どうしようもない緊迫感をあたえてしまっている。

かれらは歌舞伎風に言えば、大見得を切って死んでいくのだが、それを当初は、クサいなあ──と感じていたものの、彼らがその隠れ家に寄り添い、あるていど時を過ごせば、お互いに打ち解け合って仲間意識が芽生える──そのドラマ内の展開とおなじ理屈で、観衆としても、闘争が長引くほど、かれらの死が耐えがたいものになっていく。──わけである。

その大見得な死にも、説得力がともなう。ことになる。

すでに説得力を持っているのに、加えて、死に目をエモーショナルな演出で盛り上げる。
そこまで徹底的にやると、クサさ(センチメンタリズム)を通り越して、圧倒される。ことが、このドラマを見ると、よくわかる。感動とすら言っていい。

もちろん、それらを感動的にしているのは、役者たちの演技力にほかならない。子役から老人まで、まさに老若男女、ド直球で、感情を露出する。

また、基本的に、有名か無名かで、俳優を差別しない。
たとえば日本のドラマでは、あまり見たことのない役者を、その無名ゆえに犬死させるような演出があるが、そういう無体なことをしないゆえに、ドラマがむしょうに真摯に見える──のである。

若く人気の男優・女優を押し出し、死に役や敵役や老齢者を、どうでもいい感じで扱うのがふつうの日本のドラマだが、それに比べると、韓国ドラマでは端役といえども、ないがしろにしない情味がある──ような気がした。

モンスター造形は凝っているが、ほとんど屋内であり、おそらく、あまりお金はかかっていない。
舞台を取っ払ってしまえば、あるのはただ演出と演技だけ、である。──にもかかわらず魅せる魅せる。戦って死ぬってだけの話で、見る者を、引きつけてやまない。

感傷も流血も慟哭も、大仰で、やたら浪花節的に盛り上げる──にもかかわらず、その野暮ったさが、野暮ったく見えない──という凄み。

ストーリーやFXやスターに頼らず、ほとんど演出と演技だけで、見るものを引きつけてしまう──という凄み。──を、ひたすら感じた。

韓国は、いまでこそエンターテインメント王国だが、後発だった。
ゆえに、外国産のものを刷新するドラマ/映画/エンタメ/アイドルが得意だと思う。

たとえば、先日見た、新感染2のウィキにこんな記述があった。

『ヨン・サンホ監督によると、『ランド・オブ・ザ・デッド』、『ザ・ロード』、『マッドマックス』、『怒りのデス・ロード』そして漫画『AKIRA』と『ドラゴンヘッド』から影響を受けていると語っている。』
(Wikipedia「新感染半島 ファイナル・ステージ」より)

新感染2は、ヨンサンホ監督自身が言っているとおり、あまたの先達映画の影響を受けすぎて凡庸な作品になっていたが、言いたいのはそこではなく、韓国の立脚点である。

韓国は、日本を含めた外国でつくられた物語を、刷新し面白いものにする立ち位置にいる──という意味においての「後発」がある。と思う。

わたしの個人的な想像に過ぎないが、このドラマも、強すぎる敵で、味方がけっこうやられる要素/設定は、おそらく日本の進撃(など)の影響があると思った。のである。

たとえ、日本の何かに影響を受けていたとしても、刷新させると韓国映画/ドラマのほうが、おもしろくなってしまう。

そもそも後発とはいえ、すでに00年代ごろには、韓国映画/ドラマ産業は日本を追い抜いていた。

ただし、それが顕在化してはいなかった。
それを庶民レベルで顕在化させたのが、ストリーミングサービス=NetFlixだと思う。

日本の大人気アニメのことは、わたしはよく知らないが、どれでも自由に見ることができる状態で並んでいるストリーミングサービス上では、ドラマ/映画のつまらなさとおもしろさってのは、まさに公開処刑である。