津次郎

映画の感想+ブログ

欺瞞を克服 A Good Person 87分の1の人生 (2023年製作の映画)

87分の1の人生

4.5

アリソン(ピュー)は運転中スマホを見たことで同乗者二人を死なせてしまう。

良心の呵責にさいなまれ、婚約も破棄して引きこもり、鎮痛剤の麻痺作用に依存するようになる。

が、贖罪の態度をとりつつも、相手側の過失による事故であり、あくまでじぶんは悪くなかったという立場をとる。

よそ見によって事故をおこしてしまったことには目をつぶり、秘匿して、核心に触れぬまま自己欺瞞を生きる。

現実社会では“本当のこと”に触れられることが少ない。

たとえばひき逃げ犯は「人だとは思わなかった」という常套句を使う。その陳述を正すことなく裁判を経て10年以下の懲役または100万円以下の罰金を勘定して、やがて社会へ復帰する。

人をひいた自覚があっても真実は追求されないし、罰金や刑期を精算すれば“本当のこと”は永遠に葬られてしまうだろう。

毎日ニュースで聞く犯罪者たちの供述がある。
やってない。おぼえてない。つもりはなかった。しらなかった。おもわなかった。きづかなかった。・・・。
欺瞞を押し通し“本当のこと”は墓場まで隠し持っていく。

子供のころは嘘をつくと親や大人にしかられた。
大人になると嘘をついてもしかられない。
ずっと嘘をついたまま生きられる。

もちろんアリソンは犯罪者ではないが、相手側の過失によって同乗者が亡くなった──のと、みずからの過失運転によって同乗者を死なせた──のは、ちがうことだ。

したがってアリソンの呵責は二重構造をしている。

本当の呵責は、みずからの過失によって婚約者の姉夫婦を死なせてしまったことであり、一方でその真実を隠していることへの呵責がある。

ふたつの呵責が相乗しながら彼女の心を引き裂いている。とうていオピオイドを飲まずにはやっていられない。

アリソンが抱えている呵責の二重構造を見抜いたのは婚約者の父ダニエル(フリーマン)である。

彼はかつてアル中で暴力的な父親だったが、改心しA Good Personであろうと努力している。
ふたりは依存症克服のためのミーティングで出会って以来歩み寄るようになった。

ダニエルは事故調書をつぶさに精読しており、事故が相手側の過失ではなく、アリソンのよそ見が原因だという確信をもっている。

だから今更責めるつもりはないにしても“本当のこと”を言わない彼女に苛立ちを覚えている。

しかしふたりには欺瞞を克服してどうにかA Good Personになろうとしている者どうしという共通点がある。

アリソンがみずからの罪をみとめることで、はじめて恢復・再生するまでの苦しい行程が描かれている。
ピューがじょうずで、込み入った自己欺瞞が浮き彫りにされる、みごとな脚本であり映画だった。感動した。

imdb7.1、RottenTomatoes58%と96%。

トマトメーターのconsはメロドラマというのが中心になっていて、酷評もけっこうあった。あちらと日本ではメロドラマの解釈が違う。
じぶんは批評家評と乖離しない、わりと素直な鑑賞眼だと思うが、こうなったときはじぶんにはよかった──としか解らない。

始まりと終わりにフリーマンの名調子が挿入される。
ダニエルはミニチュア模型が趣味だ。地階にホームタウンがまるごと87分の1サイズでつくってある。

『87分の1の鉄道模型の世界では恋人たちはキスをして隣人たちは親切だ。列車は行きたいと思った場所へ連れて行ってくれる。だが人生はそんなにうまくはいかない。・・・』