津次郎

映画の感想+ブログ

学校がもたらす残酷性 CLOSE/クロース (2022年製作の映画)

CLOSE/クロース

ネタバレ有り

4.5

レオとレミは大の仲良しでいつも一緒にいる。レオは家業の農園の手伝いをしていて田園風景と戯れるふたりがまるで楽園の天使のように高らかに描かれる。

学校がはじまるといつもべったりなふたりはクラスメイトに「カップルなのか?」と聞かれる。さらに同性愛嫌悪のひやかしにもさらされる。

レオはこれらの学校内不文律を察し、排斥されてしまうのを怖れた結果、レミとつるむのをやめ、アイスホッケーのチームに加わり、軟弱だと思われないよう、荒々しい野郎気配を発することに努めるようになった。

一方、レミはおっとりした芸術肌の男の子で、独奏をするほどオーボエがじょうずで、学校がはじまり「おまえらいつもいっしょにいんな」と揶揄をされても、とくに気に留めていなかった。

だからなぜレオが突然冷たくなったのか解らない。ふたりは文字通り寝食をともにしてきたソウルメイトだったのだから、突如突き放されたレミの絶望やいかばかりか──である。

なんでなんだ?と泣きながらレオに詰め寄るレミ。その後、レミが欠席した旅行から戻ったレオに、レミのじさつが知らされる。

監督の前作がトランスジェンダーの少女をあつかった映画だったこともあり、セクシュアリティに着目した批評もあったが、レオとレミは性的にひかれていたわけではない。年齢からしてじぶんの性的指向に気づいてさえいなかっただろう。

すなわち同性愛嫌悪の中傷には同性愛者であろうとなかろうと反発する──ということを映画は言っていて、これは例えば男の子が女っぽい色や服やことばづかいやしぐさを呈したときに揶揄されることと同じような学校内の日常的な漫言に属するものに過ぎない。

みなさんもご存知のように、学校というところでは、たいした意味もなく、それが相手にどれほどダメージを与えるかなど考慮されずに、いろんなことを言ったり言われたりするものだ。

よって映画は学校のような集団生活では友情が脆いと言っているのであり、とりわけレオとレミのような「親密な友情=Close」は、瓦解したときに途方もない悲劇におちいってしまう──と言っているわけでもあった。

ただしそれは特殊な状況ではなく「突如として冷たくなる友人」は、幼少期から高校あたりまで誰にでも経験のある現象ではなかろうか。

わたしたちはレオと同じように学校内不文律を怖れ、はぶられた人と親しくするのを避けたり、時にはじぶんがはぶられたりしながら、学校生活をどうにかやりくりしてきたはずだ。したがって少年の気持ちはわかる。わたしは学校でレミにもなったときがあったし、誰かから見ればレオになったときもあったのかもしれない。

だからこそ、この話のどうしようもなさが胸に迫ってくる。そもそも二人の少年は、とうてい演技しているようには見えなかった。

この悲劇をさらに悲しくするのがレミのお母さんのソフィー(Émilie Dequenne)。

冒頭の“楽園”描写のなかで少年らと一緒になって遊ぶような自由人のお母さんで、レミが亡くなっても恐ろしく気丈で、かえってその悲しみが推察され怖いほどだった。

死んだ動機を知りたくて何度かやんわりレオにたずねたりもしたが、最終的にレオから「ぼくのせいだ、ぼくが原因だ、ぼくが突き放した」と告白され、そんときはもう冷静じゃいられずに(クルマから)「降りて」と言ったけれど、われに返って、レオを追った。レオは木の枝をもって武装していた。じぶんは彼女のむすこをころした犯人なんだからね。それを悟ったソフィーは、もうどうしようもなくて、和解とかじゃなくて唯唯どうしようもなくて、抱き合って泣いた。

いつしかレミの親たちは引っ越していていて、今、少年はひとりで野を駆けるのだった。

概説に『第75回カンヌ国際映画祭で「観客が最も泣いた映画」と称されグランプリを受賞。』と書いてあったけれど、冗談じゃない。涙なんか一滴も落ちませんわ。ほんとに悲しいけれど泣くどころか楽園から奈落へ突き落とされる。

謂わば学校生活の残酷さを描いていて人はしんでないにしても誰にでも大なり小なり似たような経験があるのではないかと思う。

imdb7.8、RottenTomatoes91%と88%。