津次郎

映画の感想+ブログ

禁じられた姉妹たち 裸足の季節 (2015年製作の映画)

裸足の季節(字幕版)

4.2

徹底的に自由を束縛される5人姉妹。

最初のきっかけは少年の首にまたがった(肩車をしてもらい騎馬戦をした)ことを股間を首におしつける淫らな行為とみなされて幽閉される。
以後、因襲か宗教か世間体かあるいは僻地の閉鎖性によるものか、なんなのかわからないが、5人姉妹には自主も権利も与えられず、家に閉じ込められ脱走するたび鉄格子を強化され、ほとんど女囚ものかランティモスの籠の中の乙女を見ている印象だった。

ばかりか処女膜の検査をうけさせられ年端もいかないうちに初対面の男と勝手に結婚させられ初夜に血が出ていることを確認するためシーツをみせろと言われる世界。継父に性的虐待をうける描写もある。姉妹のひとりは拳銃じさつをとげる。

時代設定も2010年代なので、なにが楽しくてこんな仕打ちをしているのかわからなかったが、保守的な因習もさることながら里親(継母父)の監督下であることが彼女たちの境遇を地獄にしていた、と思われる。
実親がいない火垂るの墓の兄妹みたいな境遇(=親類の家に居候になる)であり、徹底して自由を奪われ、まだ幼いうちにひとりづつ厄介払い(=嫁に出される)されていく。
脱走を真剣に考えるのも無理はなかった。

しかし脱走といっても末娘ラーレ(ドラマはラーレの視点で進行する)は、およそ10かそこいらの少女である。どうやって、どこへいけば、だれにすがれば・・・圧倒的に不利な条件の脱走劇はまるでミッドナイト・エクスプレス(1978)のようにはらはらさせた。

ラーレはしばしば近所を通るトラックのあんちゃんにクルマの運転を教わり、長女次女は嫁にやられ三女はじさつし四女とじぶんのふたりきりになったとき脱走計画を実行する。
内容はアムネスティインターナショナル推薦といった様相の男尊女卑世界だが演出が巧くサスペンスのように見ることができた。

概要によると監督Deniz Gamze Ergüvenはトルコのアンカラ生まれ。フランスに移住し映画学校ラ・フェミスを卒業している。初監督作である本作は彼女自身の体験を反映しつつ書いたそうだ。

邦題の裸足の季節を検索すると松田聖子の曲が出てくるが、おそらく制服少女らの装丁に裸足の季節と名付けることによって岩井俊二みたいな映画だと勘違いして見てくれる層を拾いたかった邦題だろうと思われる。が、とうてい裸足の季節なんていう感じの映画じゃなかった。

原題のMustang(ムスタング)は概して馬の品種を言うが、この映画では少女たちを調教されていない荒馬、あるいは調教を拒む荒馬と見立てた──のではないかと思われる。
ただしこの映画でもっとも恐ろしいのは少女らの諦観だった。末妹ラーレはまだ抗って逃亡してやろうという意欲・気力をもっている。でも姉たちは希望をうしない諦めの境地に入ってしまっていて、うつろな目がいちばんつらかった。

映画は称賛で迎えられ賞レースも幾つか勝ったがトルコ国内での評価は二分したという。

体制批判の映画でもあるゆえ、国内の賛否は分かるがトルコは西側のふりをしつつ親ロシアだったりで、微妙な国だ。西洋とオリエントが折衷している文化同様、規範にも東側と西側が混交している。時代設定ではエルドアンよりも前だが絶句するほど封建的な世界だった。
ちなみにトルコというと必ず親日だとかいうお人好しがいるが「親日」という言葉は人単位の話であって国単位の話じゃないと思う。

imdb7.6、RottenTomatoes97%と88%。