津次郎

映画の感想+ブログ

文字どおりのブラック・ユーモア ブラック・クランズマン (2018年製作の映画)


3.8
コメディだと思っていると諸処に啓発が表れる。集団リンチを語る集会やエピローグはドラマの一貫性を破ってメッセージを伝えてくる。もっともコアな部分に食い込む話でもあり、監督自身、冷静に語ることができなかった感じがあった。

もともとスパイクリーは(個人的には)一貫性のない監督で、思い浮かべたとき「こんな感じ」の映画を撮る人──との像が定まらない。商業主義もあるし、アーティスティックなのもあった、バイオレンス描写に与する感じもあれば、親子間・恋人間の悲喜劇もあった。玉石混交だが、外しても、そう無茶な外し方はしない。だが振幅が大きく、大味な印象がある。

ジョーダンピールのようにスパイクリー以上にスパイクリー的なことを、洗練されたスタイルで語る後継者も現れていて、正直なところ器用貧乏を感じない──ではない。
ただおそらく監督がいちばん描きたいのは、Do the Right Thingのような人種間に跨がる偏差だと思う。マルコムXや本編もその本領にある。

本領だが、当事者でもあるゆえに映画にエキサイトが表われてしまう。Do the Right Thingを支配していたのは怒り以外の何ものでもない。その意味で返す返すもジョーダンピールは冷静なのだ。

わたしの周りには日本人しか見あたらず、アメリカの人種差別について、それを云々する資格も知識も立場でもないゆえ、映画としての言及だが、冒頭のDis Joint is Based Upon Some Fo' Real, Fo' Real Sh*tから、潜入調査をブラックスプロイテーション風におもしろおかしく語るのかと思っていると、それが一貫しない。
いい顔のJohn David Washingtonとアダムドライバーで、もっとすごいところへ着地したかもしれない──と思わせる映画だった。

ただし映画はちっとも悪くないし、本国で称賛されてもいる。
のん気な笑える空気感を放つJohn David Washingtonが楽しくて、ダンスシーンに躍動を見た。
日本には関西人が関東人の関西弁を見破ることができる──というのがあるが、白人と黒人の喋りの差はもっと根本的でシビアな差であろうと思う。
ロンの白人英語がばれなかったのは、両刀遣いが相当に希有だからだろう。フィリップが黒人の口調を真似るシーンで、それが白人には絶望的に不可能なのが、よく解った。