津次郎

映画の感想+ブログ

海上だけど密室劇 救命艇 (1944年製作の映画)

5.0
誰もが聞いたことのあるボートのジョークがある。
大海にボート。
5人の遭難者が乗っていて、それぞれ国籍がちがう。
5人は多寡が臨機である。
4人くらいがつくりやすい。

かれらは、その国柄に基づいた行動をとる。
思い出せないので適当だが、アメリカ人は保険を売る。イタリア人は愛を語る。中国人は騒ぐ。豪州人は魚を獲る。ブラジル人は踊る。・・・

ポイントは、国籍から誰もがわかる属性をやらせることである。
ゆえに、たいていポピュラリティのある国と特色で表される。
また、ジョークなので最後がオチになる。最後の人種の行動で落とさなければ、ただの羅列である。

この小話はところを変え、品を変えるが、現代ではジョークには使われず、どこかの国を、嘲弄したり、誹謗したいときにアレンジを変えて使われるのが、通例である。
負の側面をあげつらう。
たとえば、性暴力が社会問題になっているインド人を登場させたら、かれはそれをする。といった感じに、過剰一般化を代表行動にしてしまう欺瞞がある。

わたしはこの話を見聞きするたび、ヒッチコックの救命艇を思い浮かべた。
なにかしら因縁があるのだろうか。ここから派生した小話ようだ。
少なくも映画として技法や演出における影響力は大きいはずである。

特徴は、大海のロケーションに反して、密室ドラマになっていること。
すべてスタジオ撮影だと思われる。
撮影技術の進歩からみると、そのリアリティは比べようもないが、ドラマ自体は、こんにちつくられた密室ドラマよりもおもしろい。

人物はダイナミックなキャラクタライズがされている。
誇大でも矮小でもない。
教科書のようだ。
教材につかっていない映画学校があったら似非である。
かどうかは知らないが──そういう映画だと思う。

ほんとに直射日光と海風にあてられていたら人はぼろぼろである。
しかし、コニー婦人はいつまでも身ぎれいと威厳をたもっている。舳先に足をくんで座っていると、バーカウンターに座っているようである。
リアリティの欠如は、ときとして、見やすさとわかりやすさである。

トリュフォーが愛したのはヒッチコックの、圧倒的なわかりやすさだったと思う。
時代の経過によって、フィルムの感度が上がって、夜間撮影ができるようになったが、トリュフォーがDay for Nightを言ったのは、夜を明るく撮りたかったからだ。夜間撮影ができるかできないかではなく、見やすい、わかりやすい夜を撮りたかったのだ──と思う。