津次郎

映画の感想+ブログ

ロシア製SF アビゲイル クローズド・ワールド (2019年製作の映画)

アビゲイル クローズド・ワールド

2.0
わたしのこどものころは、かわいいとは、小さいこどもやおもちゃや動物にあてた形容だった。
それが、いつのまにか汎用になった。
きょうび好ましい見た目をもつ総てにかわいいが使われる。

で、わたしをふくめ日本人は、まいにちまいにち、ばかのひとつ覚えのようにかわいいを連発している。わけである。

文を書いていて、日本語は狭義な言語だと感じる。
それで、知ったかぶりで英語を持ってくる。
英語だと、意味が広くなるし、わかった気分にもなる。
とてもべんりである。

しかし、かわいいは、かわいいだけは、近年、いきなり広義になって、べんりになった。
前述のごとく、およそ70年代ころまで、それは、こども、小さきもの、ぬいぐるみのようなもの──を指していた。のである。

だから、リリアンギッシュや八千草薫のような、他界されるまで童顔のままの小作りな女性を、かわいいと形容することができた。亡くなるまでかわいいひとだった──という言い方が、有り得たわけである。

ところが、なんでもかわいいが使われるようになり、かわいいが、何の意味も持たなくなった。
なにしろ佐藤二朗でも和田アキ子でも高見盛でも黒柳徹子でも尾木直樹でも麻生太郎でもetc誰にでもかわいいを充てていいわけである。

つまりかわいいは広義になったわけではなく、意味がなくなった──のである。

意味がない言葉ほど、使いでのある言葉はない。

だれかのインスタをひらくと、かわいいが呪文のようにならんでいる。
われわれはまいにちまいにち、飽きもせずかわいいと言い、かわいいと言っているのを見る。
よくもまあ、四六時中かわいいの波状を受けとめながら、あたらしいかわいいがわき起こるもんだ。たいへんなもんである。と思う。

ところで、この映画のTinatin Dalakishviliなんだが。
かわいい。

のだが、わたしたちが充てるかわいいを超えた異次元感がある。
おまえ、ええかげんにせえよ。という感じ。
すなわち、このひとをかわいいで形容してしまうのは、もったいない。

これは、迂遠ながら、好きな芸能人をかわいいという意味のないことばで形容してしまうのは、もったいないのではないでしょうか?──という、さしでがましい意見でもある。

ロシアの映画とのことだが、ひんぱんに見かける英国の俳優Eddie Marsanが出ていた。善人を演じる方が多いがTyrannosaur(2011)の偏執なかれをよく憶えている。

映画はSFサイバーパンクとのことである。
サイバーパンクとはなんだろうか。むろん、どこかの解説をみれば、わかる。
ただ、その言葉の叙説はさしおいて、わたしの認識しているサイバーパンクとは、未来に大時代のテクノロジーが介入していること──かもしれない。

未来なんだけれど、古い機関が動いたりしていると、とりあえずサイバーパンクである。個人的に、この様態の原体験はおそらくコナンのインダストリアである。コナンと言っても子供の探偵がでてくるのではなく宮崎駿のである。

さいきんだと移動都市モータルエンジンもサイバーパンクの気配があった。
未来といえば自動だが、そこかしこに手動があるとき、サイバーパンクに見える。それは大きな誤解かもしれないが、それで通じてしまうところもある。

ぜんぜんちがう話なれど、絵だけなら、スコセッシのヒューゴの不思議な発明のような空気感がある。
厖大なアートワークがあるはずである。描画のある原作をもっていなければ、はじまらない映画である。
すると、起こりえる事態として、移動都市モータルエンジンにも言えるが、絵としてはすごい。が、ストーリーや演出で損ねる。

ロシアのSF大作!の謳いに、ハリウッドにはかなわんだろうなあ、と思いつつ見て、その通りの結果がおこる。善と悪が単純すぎる。こどもっぽい。ロシアの商業映画は、基本的に擦れた人が映画を見る──という前提を看過している。が、絵はいい。たいがい、このレビューも、ティナたんがかわいい──だけでじゅうぶんだ。