津次郎

映画の感想+ブログ

私を信じて -リサ・マクヴェイの誘拐-(2018年製作の映画)

Poster for Believe Me: The Abduction of Lisa McVey

2.5
近年女性においてコンパクトな体躯の勃興を感じる。レディガガもアリアナグランデもアギレラやラヴィーンもちっちゃい。女優でもスカーレットヨハンソンアナケンドリックエミリアクラーククリスティンベルetc・・・ちいささをかんじるひとが多い。日本もそうだけど、アメリカでも小さい人が人気──(漠然と)そんな傾向を感じる。

偏見になるかもしれないが、小さい人は、なんとなく頑張っているように見えるという利点がある、ような気がしている。

じぶんが大きいのでそう思うのかもしれないが、大きい人間はなんとなく、木偶(でく=図体がでかいくせに役に立たない)の気配を払拭するように──じぶんの身体が、緩慢に見えないようにしているところがある。ないだろうか?

ぎゃくに小さいと、はしっこく(俊敏なかんじに)見えるのでそれが健気(けなげ)や負けん気のように見えることで、人々のシンパシーにつながる気がする。
むろん小さいから~、大きいから~、ってことは体型にたいする差別というか臆見だが、昨今「人気者(女性のばあい)が小型化している」ことを、よく感じる。

Katie Douglasという女優をはじめて見たが、やはり小さいなとおもった。すごく華奢(きゃしゃ)なひとである。あっちだと対峙する男が180㎝からそれいじょうになるので、小ささがより明瞭に顕れる。けんさくすると、155㎝と公称されていて、幼少期からキャリアも長い人気者だった。

人種の混じり具合は解らないが、顔立ちにはすこしアジアの気配もある。ばた臭さのない、いわゆる日本人に好まれる顔。いいかんじの混交バランスをもつカナダ人女優。

毒親に育てられ、そのままじぶんも毒親になる──のが普通のケースである。
が、海外では、毒親に翻弄されたことが反面教師となって、かえって、まっとうな大人になる──展開のドラマがよくある。さいきんネットフリックスで見たヒルビリーエレジーもそんな感じのドラマだった。

テレビドラマらしく大味だが実話の謳いに引き留められた。リサマクヴェイは、殺人犯に誘拐されなかったとしても、義理の保護者から虐待を受けていた。警察から信用されず、庇護されなかった。
ラストシーンに性犯罪専門の群保安官代理となっている現実の本人が出てくる。少しも華奢ではなくむしろたくましい。なんか、ほっとした。
生き延びてしあわせをつかむ──数奇であり、希有なことだと思う。