津次郎

映画の感想+ブログ

主人公は僕だった(2006年製作の映画)

5.0
徴税人として真面目に規則正しく生きているハロルドクリック(ウィルフェレル)。
あるとき天の声が聞こえ、エマトンプソン演じる作家の書いた筋書きに副って行動していることを知る。メタフィクションというコトバがあるが、それを敷衍できる作品だと思う。
ただその構造よりも各々の人柄に打たれた。

ハロルドは実直とはいえ取り立てる公吏ゆえ庶民からは嫌われる。担当したのは女主人アナパスカル(マギーギレンホール)が切り盛りしている下町のベーカリー。

追徴に明け暮れるハロルドと、まいにちクッキーを焼いているアナ。二人は外貌にも立場にも、はなはだしい隔たりがある。だけどハロルドは、快活で率直なアナに惚れる。

あだっぽいマギーギ(ジ)レンホール。
印象として、いつもしどけない服装をしている隣人、ダンサーよりそそるナイトクラブのバーテン、バイカー集団の年配男が連れている妖婦、男出入りの激しいシングルマザーの叔母・・・。
淫奔なわけじゃないが、つねに露出過多の軽装をしている人でタトゥが似合う。本作はそんなマギーギレンホールの魅力がもっとも顕著だった。

しなやかな肢体、悪戯っぽい上目遣い、柔和な垂れ目、ときどき嗄れる語尾。テレビドラマThe Deuceではポルノ女優役だったが、その感じではなく明朗で快弁で親近感がある。ハロルドが惚れたのも無理はなかった。かれは不器用なりに小麦粉をプレゼント。ベーカリーの主人に小麦粉を贈る──彼の純朴があらわれていた。

食事に招かれたアナの家。本作の白眉がある。ギターがあり「弾ける?」「一曲だけね」「弾いてよ」「きょうは止めとくよ」。いったんは断ったが、ハロルドは弾き語りをはじめる。Wreckless EricのWhole Wide Worldだった。

『幼いころ、ママはぼくに「あなたにふさわしい女の子は世界にたったひとりだけ、きっとタヒチに住んでいるわよ」と言った。ぼくはかのじょを見つけるために世界中を旅した。』(Whole Wide Worldの歌詞より)

不器用なハロルドが真剣に目をつぶってWhole Wide Worldを歌う。アナはしびれる。目指している女とあなたとの間にどんな隔たりがあったとしても、まっとうな女ならば何かを真剣にやるあなたに惚れる──を立証するシークエンスだった。

この映画には善い人間しかでてこない。スランプにおちいった作家のエマトンプソンも、その鷹揚なアシスタントのクイーンラティファも、教授のダスティンホフマンも。バスの運転手も、自転車の少年も。ハロルドもアナも。

少年を救って大けがをするハロルドはかれを助けるためにバスの前に出たことを「選択肢はなかった」と述懐する。悪党がでてこない博愛に満ちたいい映画だった。

アナパスカルの知見だが、ヒドい一日の終わりにクッキーをミルクに漬けて食べる。──やってみる価値はある。と思う。