津次郎

映画の感想+ブログ

クラシック・ホラー・ストーリー(2021年製作の映画)

クラシック・ホラー・ストーリー

2.0
せかいじゅうのコンテンツが見られるネットフリックスなどのストリーミング配信サービスが日常化して、米英や韓国がドラマや映画をつくる技量に秀でていることがわかった。(──もとからわかっていたけれどもっとドラステイックに巧拙が露呈した。)

それと同時に、米英や韓国ではない国が作ったものに、背伸びが見える──ようになった。個人的な感慨──かもしれないが「(アメリカに)負けてられるか」みたいな気配を、よく感じる。

この背伸び感は、たとえばサイコ・サスペンスならば、殺害方法や屍体の過剰度となってあらわれる。ロマンスやコメディならばたとえば主人公が極端に貞操感に欠けていたり、セクハラや過労や不倫やDVや近親姦やいじめ──いずれの設定にあったばあいにせよ、その様態が過剰になっている。
屍体や情交シーンの裸がこれ見よがしだったり、なにか現実的なレベルよりもずっと極端に描かれているとき──背伸びしている、と感じられる──わけ。

なぜ、そうなってしまうのか──と言うと、最大の業界をゆうするアメリカ・ハリウッドのドラマ/映画を(必然的にある程度)参考にしてつくられるから──であり、ネットフリックならば、それらの本場と並んで選択肢のなかに置かれてしまうから。

ネットフリックスでは第三国のつくったコンテンツがせかいじゅうの人々を熱狂させてきたアメリカのドラマ・映画と並列したプログラムになってしまう。それゆえネットフリックスの非米英韓のコンテンツは背伸びする──の構造がある。

2020年にFOLLOWERSという和製ドラマがネットフリックスで放映された。これは有名な舞台演出家の娘であり、日本を代表する映画監督兼写真家として名高い女流監督の作品。内容ぺらぺら演出ぼろぼろ──その代わり人物像を過剰にして、絵を極彩に盛ってあった。周知のごとく、がんらい持っていない人が親の七光りで持ち上げられて映画をつくっている。ネットフリックス作品を請け負ったのは誤算ではなかっただろうか。監督は、その写真(ていうかフォトショのコラージュ)同様、なんでもカラフルにするだけの作家。老婆心ながら、お花畑映画を撮り続けていたければ無能がバレる海外マーケットに出張るのは得策ではない。

たとえば、それも背伸びの一例。
それほどみっともないのは稀にせよ(ネットフリックス上の)他国(非英語圏)のドラマ・映画にも背伸びを感じることは多い。

承認欲求も背伸びの一種で、この映画「クラシックホラーストーリー」には承認欲求=作り手の「すげえだろ」感があった。(がんらい承認欲求は日本映画がもっとも得意とする感覚──たとえば園子温は(ちっともすごくない)すげえだろ感に耐える映画──と言える。)
に、加えてメタ構造がある。メタ構造とは、登場人物が物語の俯瞰者になってしまう構造。あるいは筋書きの極端な逸脱。
さらにミッドサマーから(あからさまな)影響をうけている。いびつor残酷なイメージと肉体の損壊がアリアスターを模倣している。
ラストに(ネットフリックスを置換した)Bloodflixを見てサムズダウンをする視聴者の描写があるが、このテのメタ構造(セルフパロディ)は(すごく)白ける。とてもあざとい映画だった。

さいきんネットフリックスでホラーをふたつ見た。サムワンインサイドとこれ。imdbはこっち(クラシックホラーストーリー)のほうが高いけれど、こじんてきには下手だと思った。

下手というか自然さに欠ける。抵抗感なく入りこめるという点で、アメリカ製ドラマにかなうものはない。
たとえばキャラクタライズ。いっぱんに映画に出てくるじんぶつは明るい人暗い人(あるいはやかましい人静かな人)(など)によって構成され、その描き分けには巧拙がある。イタリア南部に旅する男女。非モテ男子。いけいけなカップル。内省的な女。寡黙な男。──その描写のぎこちなさ。POV構成もあるなら、不自然は致命的だと思う。

冒頭に、世界じゅうのコンテンツが入り乱れる(ネットフリックスのような)ストリーミングサービスが日常化した結果、だれの目にも(映画/ドラマは)アメリカや韓国が上手なことはわかってしまった。と、書いたが「上手」の根拠となるのは人物描写=キャラクタライズでもある。
独自性があるのに自然な人物──(とりあえず)さいきん見た学園ものを引き合いにするが、ハーフオブイットやモキシーやブックスマートのように、軽いタッチでありながら複雑な心象を語り得てしまうというアメリカの学園もの(エイスグレイドやレディバードやスウィート17モンスター・・・)に匹敵する世界はない。ような気がする。

しかもわたしたちはそれを軽いもの見るつもりで見て、比較的「ずん」とくる大きな徳化が得られる。──の構造をしている。
いやなことがあるとアメリカの学園ものをみる。いやなことがなくてもアメリカの学園ものをみる。そのユニバーサルがアメリカ製には──ある。

ネットフリックスをみるわたしたちの気分を害するのは下手な演出と下手な人物描写。
わざと嫌いな日本映画を見て夜な夜なこき下ろしのレビューを書き殴りたい晩もある。が、たいていの一般庶民は見たいものを見る。そんなとき、気分をいっさい害さないコンテンツとは事実上アメリカや韓国のコンテンツになってしまっている。ていう話。