津次郎

映画の感想+ブログ

愛しのべス・クーパー(2009年製作の映画)

3.5
映画をけなすことがよくある。

映画があり、映画批評があるなら、毀誉褒貶があるのはとうぜんだが、人様がいっしょうけんめいつくったものに、好き勝手なことを言っているじぶんは、ひきょう者だと、ときどき思ったりする。

匿名性に守られて、好き放題なことを言いやがって・・・じゃあおまえになにができる?・・・まったくろくなもんじゃねえな──とじぶんでじぶんに思ったりする。

若いころ、先覚や年長や上役に「それじゃだめだ」と言われたことはないだろうか。
最終的な否定の言葉「おまえには才能がないからやめろ」を聞いたことはなかった──としても、じんせいは「それじゃだめだ」によって覚醒するところ──だと思う。
(日本の映画監督がそれじゃだめだと言われるかどうかは知らない。)

それは、卑近な話で、おおげさな話じゃない。
たとえば、その学歴じゃだめだ。その家柄じゃだめだ。その年収じゃだめだ。・・・。

──努力で乗り越えることもできるが、現実世界でちょくめんしてきた、それらの「それじゃだめだ」を迂回したり、引き返したりした結果、いまのじぶんがある。

すなわち、人生とは何か──の哲学なんかじゃなく、かつてわたしたちの前に立ちはだかった拒絶や否定によって閉ざされた門──それが「それじゃだめだ」である。

バブルの時代、三高というのがあった。高収入高学歴高身長。現在、学歴や身長はともかく、収入がさらに高い要求値になっている。
年収一千万以上──女たちには夢のような願望があり、お金がないと結婚ができず、お金がなくなると結婚がはたんする。そんな国がこの星で最もいちじるしい少子高齢の比率に陥っている。日本は絶滅種の最晩年みたいな国だ。

それはさておき、女が男にたいして(逆でもいいが)、もっとシンプルに簡単に判断できる属性がある。──ていうか、人間社会で、多くの人がちょくめんしてしまう最大の「それじゃだめだ」が、ある。

もちろん「その顔じゃだめだ」──である。ぶさいくだと人生ってやつは、ほんとどうしようもない。が、いわゆるタブーでもあるので、人生最大の「それじゃだめだ」は、すべての人間がそれに影響を受けながら、誰も触れない。
寅次郎のことばを借りるなら「それを言っちゃあおしまいよ」。

Loveというネットフリックスのドラマがある。Gillian JacobsとPaul Rustがくっついたり離れたりする、もどかしくて楽しいラブコメ
Witch鼻のPaul Rustはブサめんの役回りを充てられる希少な俳優だと思う。

かれを、このI Love You, Beth Cooper(2009)によって、おぼえている。
卒業式に学代としてスピーチをするのだが、そこで「愛してるよ、ベスクーパー」と名指し告白をしてしまう。そこから始まるドタバタ。

ベスクーパー役がヘイデンパネッティーア。初主演映画だが子役スタートのひとで、あちらでは高い人気がある。対するのがPaul Rustとかれの友人。ぜんぜんいけてない、いじめられっこの佇まいをもっている男ふたりとヒロイン。
非モテがもてるかんじの甘い話で、とても楽しかったのをおぼえている。

他愛ないコメディだが、このての話は「その顔じゃだめだ」によって閉ざされてきたにんげんをわりとドラスティックになぐさめる。わたしがユヘジンやチャテヒョンがすきなのも同様の理屈にちがいない。