津次郎

映画の感想+ブログ

商魂の産物 不都合な真実 (2006年製作の映画)

不都合な真実

3.0
(個人的に)地球は温暖化してない──と思っている。
いちおう理由はある。(ばかっぽいので注意してください。)
地球の歴史は46億年ある。
人間の一生は100年。
短命な人間から見ると地球は4,600万倍生きている。

100年しか生きられない人間、200万年しかないヒトの歴史。──そんな短い帯域幅の生命体が、悠遠な地球の変動を察知したり算定したり、まして体感できる──だろうか?
ヒトの営み(サイクル)は、地球規模の変動を沙汰するには短すぎる。ごく普通にかんがえて、わたし/あなたの生きている最中におこった変化が、地球の変化──であろうはずがない。

──このロジックが、まちがいでも、愚かしい与太話でも、かまわないが、わたしは毎夏、隣の年老いた寡婦と顔を合わすたびに「暑いねえ、むかしの暑さとぜんぜんちがうねえ」と同じ挨拶をする。するとかのじょはそのとおりだと頷いて「まったくだねえ」と相づちをうつ。

多くのひとびとは昔の夏より今の夏が暑いことが地球温暖化のせいだ──と信じている。もしそんな20年か30年か40年かの、一般庶民の肌感に過ぎないものが「地球温暖化」であるなら、あと数十年も経てばどこもかしこもデスバレーになる。──ってことでいいのだろうか。
わたしは地球温暖化を信じておりません。

地球温暖化とは、おそらく経済成長にたいする牽制とか、抑止力であろう。すなわち総ての基幹産業は、地球温暖化対策をすることによって、発展や採算や効率に、ものすさまじい枷(かせ)を負う。=とんでもなく余計なコストがかかる。企業にとって(地球温暖化対策は)大リーグボール養成ギブスの強化版みたいなものだ。とくに排出量がどうのこうのと常にたわごとに巻かれる流通業はブレーキをかけて走っているようなものだろう。

とはいえ、誰が何にたいして牽制、抑止しているのか──は解らない。
さりとて、これは陰謀でもなんでもない。わたしは陰謀論は信じないし嫌です。だけど地球温暖化ってのは、どっかの偉いひとが何らかの操作/コントロールのためにやっていることにちがいない──と思っている。

そもそも地球が温暖化していることを証明できない。人のサイクル(期間)では地球が温暖化していることは立証できない。化石や地層にもとづいて過去のことは解る。が、未来はどうだろう。

(思うに)地球が温暖化しているのは、地球は温暖化しています──という名目を打ち立てて、懐疑派を疎外してきたから。──やがて地球温暖化現象は絶大なポリュラリティを獲得し常識になり、よもや公的に地球温暖化をうたがったり、異議を唱える者はいなくなった。で、操作者の思惑どおり地球は温暖化してます──ってことになった。に過ぎない。が、地球が温暖化しているかどうかは、じっさいにはわからない。(と思っている。)

ところで、地球温暖化対策の広報先鋒は、みんなが大好きなグレタです。せんじつCOP26(2021/11)の開催によせて、グレタがまた吠えました。
常日頃、国民たちが愛してやまない小室夫妻。愛するあまりコメントが殺到し、ヤフーコメント欄が閉じられるという前代未聞の事態があったそうな。
それが閉じられちまったもんだから、小室夫妻の次にみんなが大好きなグレタにコメントが殺到した。すさまじいグレタ愛を感じる出来事だった。

それはさておき、かんがみれば子供である。なんであれ、まったくの自発では、子供は活動家にはならない。誘導か、環境か、影響か、いずれにせよグレタにもっとも近い大人がイニシアチブをとったから、かのじょはそうなった──わけである。

グレタが発言をすると世界じゅうで反響があがる。そのすさまじい影響力。りっぱな広告塔である。てことは金づるでもある。
間違いなく彼女は大人になってから「おとなたちにコントロール(操作)されていたわたし」というようなタイトル/内容の遺恨と悔悟にみちた自伝を発表し、傀儡だったじぶんを顧みることになるだろう。

さて、本作は「不都合な真実」がアルゴアにとっての好都合な自己発信だった──という話。ドキュメンタリーとしてよくできていた。

グレタにとっての地球温暖化。アルゴアにとっての地球温暖化。──地球温暖化というものは、それを操作したり発信したりする者の謂わば商売道具。(だと思っています。)