津次郎

映画の感想+ブログ

なめ茸とツナの“容器”がわたしたちにもたらす苦悩

多くの人がなめ茸とツナの和え物がうまいことを知っている。
炊き込みご飯にもいいしおつまみにもいい。パスタソースでもいける。

人はそれぞれ、様々な基準で食品を買う。
好みや値段や健康にもとづいて選ぶ。
わたしの場合、それに加えて紙ゴミ又はプラゴミになるものに限定する。
やっかいなゴミが出るのが疎ましいからだ。
わが国には厳格なゴミ出しルールがある。
独居の長いわたしは、いつの頃からか瓶詰めや缶詰めを忌避するようになった。

ところがなめ茸は瓶詰めであり、ツナは缶詰めなのが一般的。
定番の組み合わせが、両方ともわたしの食品購入基準から外れてしまうのである。

そのことをずっと前から思っていて書いておきたかった。

とうぜん、瓶や缶を理由に買わない──というスタンスが解らない人がいるかもしれないし、なめ茸やツナの容器がどうなっているか知らない人だっているかもしれない。

元来、なめ茸とツナを和えるなどという初歩的な料理は、家庭の食卓にならぶような代物ではない。じぶんのような“やもめ”がナントカの一つ覚えみたいにつくる簡易料理である。そもそもわたしとてむかしキャバ嬢から教えてもらったわけである。そういうものなのだ。

畢竟、独り身の御用達料理といえるものにもかかわらず、瓶や缶容器になっているのが、恐ろしい矛盾を引き起こしているのである。
前述したように独居者はわたしのように瓶詰めや缶詰めを敬遠する傾向を持っているからだ。

スーパーの売り場でなめ茸かツナ缶を持ってしばらく佇んでいたことがある。そのとき脳内は瓶や缶を洗って別日に出す煩わしさを想像している。しばらく思案し、なんとなく溜息をついて棚に戻す。もうどれくらいなめ茸とツナの和え物にありつけていないのだろうw。

もしメーカーが瓶や缶の容器を変えたら画期的な売上増になる。──のかな。
(なめ茸のプラボトルは見たことがあります。また、食品は基本的に理由があってその容器を採用していることは察しております。)