津次郎

映画の感想+ブログ

ノワールで異色 THE BATMAN-ザ・バットマンー (2022年製作の映画)

THE BATMAN-ザ・バットマン-(吹替版)

3.5
暗くて重い。
街には悪がはびこり官吏たちは背任し人々は虐げられている。
主人公からして陰気。
バットマン/ブルースウェインはニコリともしなければ冗談も皮肉も言わない。演じるパティンソンは蒼白で、言葉少なで、表情には諦観と哀しみが貼り付き、まるで陽を浴びるとしぬヴァンパイアを演じているかのようだ。

ゴッサムは日中がないかのように闇につつまれ、必然的に真っ黒の画で、地味に市長選直前の混乱を描くこと二時間。尺も三分の二を過ぎ、素顔のリドラー(ポールダノ)が出てきた辺りから、ようやくアメコミらしき躍動が見え始めた。

リドラーは童顔で切れ者だが反社会的で重篤なパーソナリティ障害を抱えている。ホアキンあるいはヒースレジャーのジョーカーを意識したような狂気を表現してみせ、さっさと主役を食ってしまった。

もともと今回描かれたバットマンは主張の少ないヒーローだった。青白いパティンソンはトワイライトの続編がはじまりそうに端正だったとはいえ、生身感と等身大を重視して強さに欠け、感情にも流されやすい一介の男に過ぎなかった。

が、その人間臭さこそが本作のテーマであったにちがいない。
バットマンに超人値がなく、悪いヤツを倒すのに徒手空拳をつかって非効率な戦いをし、ゴッサムの腫瘍リドラーやペンギンやファルコーネをとっちめるにしたって裏をかかれて無力感を味わう。

ひたすら非力な人間臭さ(=生身感と等身大)を強調してみせたのが今回のバットマンの特長だった。

ところがImdb7.8、RottenTomatoes85%と87%。
何にもできないバットマンを描いたノワールにしては大受けだった。

このノワールなバットマンの勝因は新型コロナウィルスだったと(個人的には)思う。
新型コロナウィルスによって、大なり小なり世界じゅうに閉鎖的社会が出現した。程度はともかく防疫として多くの人間関係が絶たれた。気分的にも経済的にも人々が荒廃していった。

そんな時代に、一人じゃ何にもできやしないのにゴッサムに居残って、弱きを助け、悪をくじかんとするバットマンの姿には希望の兆しとなるような熱い物語性があった。
誰も助けられないかもしれない、だけど頑張るんだ──という気概がこの映画にはあった。製作陣のスタンスに同じ気概があったとしてもまったく不思議はない。そういう漢を描いた映画だった。──とわたしは思う。

ところで、コウモリという生き物は強い抗体をもっており、さまざまなウィルス、病原菌を体内に保有できることで知られている。

新型コロナウィルスが蔓延してまもなく、英語圏のツイッターやreddit等でバイラルとなった路肩看板がある。

看板には『Whoever said one person can't change the world never ate an undercooked bat.』と書いてあった。

直訳すると「一人では世界を変えることはできないと言った人は、調理が不十分なコウモリを食べたことがないのでしょう。」となる。

意訳すると「生コウモリを食べれば世界を滅亡させることさえできる。」──という感じだろうか。アイロニカルだが事実だった。奇食は人類を滅亡させることができる。

新型コロナウィルスの発生原因はどこかの誰かの野味だと言われている。
野味とは食用とはされていない野生動物をジビエとする食道楽のこと──である。
野生動物はウィルスの温床であり、素人の調理は、ふぐ免許をもっていない人がさばくふぐのようなものだ。
野味がどれほど蛮人な行為かお分かりいただけるはずである。

むろんほんとうの原因はわからない。しかしわたしたちの世界は誰かが食べた一匹の生コウモリによって暗礁に乗り上げてしまった。──ようなものだ。しかもこれは変異を繰り返しながら、いつまでも存在しつづける。

そんな暗澹たる世界でもじぶんだけはまともに生きてやるぞ。──パティンソンの目にはそんな強い意志が宿っていた。とわたしには思えた。

すなわち製作が暗い世相とゴッサムの混乱をリンクさせていないはずがない──と思えるつくりだった。

──とはいえ、どうだろう。
長いし、正直けっこうだれるところはあったかなw。