津次郎

映画の感想+ブログ

ふしぎな津軽そば 津軽百年食堂 (2011年製作の映画)

津軽百年食堂

3.3

そばといえばどこですか。

そばは食道楽にとって定義されやすい食べ物です。

そば通の数だけ一家言があるでしょう。

それゆえ見識を述べると「ちがうぞ、なに言ってやがるんだ」とおこられてしまうかもしれませんが、個人的な認識ではそばは戸隠だろうと思います。

そばの名物化はそば畑の所在と対であり、救荒食物だったことからも、そこは米麦に適さない山間地域であろうと思われます。よって、概して山の食べ物であろう──というのがわたしの見識です。

ところがそばは日本全国にあり、各地で名物を謳っています。
海辺にもあり、つなぎに海藻をつかっている──などと海の特有性を売りにしています。

本作で出てくる津軽そばも出汁に鰯の焼き干しを使っていることが評判のそばです。

それらを見ると、つなぎや出汁はともかく、肝心のそば粉はどうしているんだ──と疑念を持ってしまいます。そばでいちばん重要な材料はそばではないでしょうか。

ただし、わたしはそば通ではないので「そばはこうでなきゃならん」というのはありません。小麦が八割の乾麺でもよろこんでいただきます。茹ですぎて余ったそばでもコロッケにしようとか汁物に紛れ込ませようとか──どうにでも打開策をして食べるでしょう。

そうはいっても津軽そばは不思議な食べ物でした。

青森県観光課が運営するウェブサイトまるごと青森には津軽そばについて以下の記述があります。

『挽きたて、打ちたて、茹でたての三たてがおいしいと言われる蕎麦ですが、津軽にはそうでない蕎麦があります。江戸時代に生まれたと伝わる「津軽そば」です。(以下略)』

概説によると、大豆をすりつぶした「呉汁」をそばがきに混ぜて生地をつくり、それを寝かせて熟成させます。さらに、製麺し茹でてから日持ちを良くするために「煮置き(茹でた麺を冷やす)」ということをするのだそうです。
結果、箸で持ち上げるとちぎれてしまうほど柔らかいコシのないそば、津軽そばができあがります。

コシ偏重の現代にわざわざのびた(コシをとってしまう)仕上げをすることに加えて、温そばのみの仕様も大きな特長です。
一般にそばといえば、もりやざる──すなわち冷そばのことを指すと思います。
温そばをつくるにしても茹でたそばをいったん氷水でしめる行程は外しません。それがコシをつくり、ぬめりをとるからです。

ところが津軽そばは「煮置き」をして一般的なそばの基本事項を度外視してしまうのです。不思議な食べ物ですよね。

いったん断っておきたいのですが、わたしは津軽そばを邪道視しているわけではありません。とんでもない。わたしは芯のなくなったパスタも、煮込みすぎたぼろぼろの鍋底麺も喜んでいただきます。

ついでの個人的な憶測ですが、そばのコシを気にするひとほど低能です。コシ偏重の時代だからこそ言うべきだと思いますが、コシがないコシがないと連呼するひとに「おまえうるせえから乾麺ボリボリ噛んどけよ」と言ってやりましょう。ふつうに考えて、コシを最重要課題にしたいなら茹でなきゃいいんですよ。

いうまでもないことですがコシを形成するのはグルテンです。したがって元来そばを食べてコシがないとかいうひとはあほです。小麦麺に比べて“はもろい”のがそばです。

逆に言うと、そんな“はもろい”そばだから、本作にあるように“さくらまつり”への屋台出店ができたのです。

そば通ならば「そばの屋台出店なんて、いったいどうやるんだ」と思ったはずです。それを解決するのが厨房設備がいらない津軽そばでした。

見たところばんじゅうに並んだ麺をサッと湯がくだけで簡単に提供しています。これなら水道設備も火器も簡易なものだけで屋台営業が成り立ちます。

──というわけで津軽百年食堂はなんてことない映画でしたが「妙なそば」の存在でけっこう記憶に残っているのです。

オリエンタルラジオのふたりが出演していることも希少でした。
それぞれ躍進し今やすっかり成功者ですが、オリラジを見るにつけ思うのは、ふたりとも顔がいいこと。

とくに藤森慎吾は美男で、お笑い芸人をあまり知らないわたしは当時この主役を演じているひとは誰だろうと思いながら見ていた記憶があります。

他の出演者ではちすんがいい感じでした。(現在(2023)は智順という表記になっています。)職人気質の頑固父親が伊武雅刀。福田沙紀、野村宏伸、藤吉久美子、大杉漣も出ていました。

大森食堂をおとずれたサラリーマン客が「こんなのそばって言わねえぞ、東京じゃこんなの食えない」と文句をいう場面があります。
それに対して陽一(藤森慎吾)は「これが津軽伝統のそばなんです。東京のとは別物と思ってもらえませんか」と言い返します。

温かいほろほろのそばは海からくる空っ風にさらされた津軽っ子のからだを温めたにちがいありません。
所変われば品変わる──という話です。
ならば「そばはこうでなきゃならん」とそばを定義するそば通は偏屈でしかありません。いずれにせよ食べ物にたいして鷹揚でありたいものです。