津次郎

映画の感想+ブログ

ひねりすぎ バード・ボックス バルセロナ (2023年製作の映画)

バード・ボックス バルセロナ

2.3

つまり主人公の男は亡くなった幻影の娘にそそのかされて、細々と生き延びている小コミュニティを見つけてはそれを壊滅に追いやっている──わけである。

なんでそんなけったいな話にしちまった?

作者兼監督のDavid PastorとÀlex Pastorを検索したらCarriers(2009)という過去作があった。
コンテイジョンのようにCOVID-19のあと遡及分析をほめられた映画がいくつかあってCarriersもそのひとつだった。
ウィルスで世界が終わったあとのディストピアでクリスパインがでている。所々おぼえているが、Pastor兄弟は情の扱いに特長がある。車で移動中、幼女が感染している家族に出会い、助けてあげるか見捨てるかで揉める。個人的にディストピアで善意を試されるのは好きじゃないが、Pastor兄弟は情けをかけるかかけないかのジレンマが映画ダイナミズムになる──というポジションで書いている。だから本作Barcelonaでも幼女をもちだして情や善意をくすぐってくるわけだが動機はともかく根本的におまえがサバイバーたちを全滅させてんだぞ。にもかかわらず人情を本題にしているからこんなけったいな話になったのだ。

ひねり過ぎもある。

想像だがNetflixはBirdBoxをリレーしたいのではなかろうか。
Barcelonaへ行って次は(たとえば)ソウルへパリへバンコクへシドニーへ・・・という感じでバトンを渡し、それぞれの情趣を生かしてスピンオフをつくる。

グローバルなリレー企画だとするとBarcelonaの“ひねり過ぎ”も腑に落ちる。スサンネビア、サンドラブロック──なんてすごい面子からバトンを渡されて気負いすぎた。

世界展開するってことはコンペティションでもあるからだ。
それでなくてもNetflixへ納品する第三国は気負っている。米英韓なんていうドラマ製作の大家と並べなけりゃならないから、みょうに背伸びしてしまう。

で、ありがちと言われないように話をひねった結果こうなった──のかもしれない。

──

BirdBoxの要点は目隠しとmesmerizing──見ないことと見つめてしまうこと。モンスターがいらず未来の構造物がいらずサバイバー数人が廃墟群を派生アトラクションを散りばめながら手探りで逃げ回ることでもっていける。──というのは何にもわかっていない素人の見解だがさほどひねらなくても大丈夫な素地をBirdBoxはもっている。──ような気がする。

憶測だが作者の脳裏に最初にひらめいたビジョンは目隠しした人たちが手探りで歩いている絵だったのではないか。

その絵は劇的であり、そこに(たとえば)現代社会というものは目隠しした人たちが手探りで歩いているようなものだ──というシンボルをもってきたり、目隠ししている状態から共同体としての信頼や裏切りを表徴したり──のドラマタイズができる。

かえりみると最初にサンドラブロックが目隠ししている絵を見ただけではっとしたし、見たくなった。そういう素地のいいアイデアだった。──ゆえにBarcelonaのひねり過ぎが悪目立ちしてしまった。──のだった。

個人的な願望だがBird Box Tokyoがつくられて公開処刑されたら愉快だわな。