津次郎

映画の感想+ブログ

がんばろう日本 ゾン100 ゾンビになるまでにしたい100のこと (2023年製作の映画)

ゾン100 ゾンビになるまでにしたい100のこと

1.0

ファンタジーをなぜメタにするのかというと①恥ずかしくないから②創作がめんどくさいから③もっていきたい場面にもっていけるから、であろうかと思われる。

①の恥ずかしくないの意味は実直に物語を書いてしまうと知識レベルに応じて稚拙になりがちでハズしたときに恥ずかしい。メタは深い知識がなくても二次創作のように書けてメタゆえにあまり恥ずかしくない、ゆえにメタにする。

②はメタにすると新しいファンタジーのアイデアがいらない。たとえばタイムマシンで過去へ行くというファンタジーは先人たちがいろいろ書いているので、あたらしくつくるのはめんどうだしたいへんだ。ゆえにメタにする。

③はまんがや二次創作やラノベなどの創作者はストーリーよりも先に感動的なシーンや決めシーンを思い浮かべる。(のではなかろうか。)で、その感動的なシーンへてっとりばやく話をもっていく方法を考えたときメタにする、ということをする。たとえば先日みた天間荘というのはいっさいのSF的仕組みが欠けているにもかかわらず天空と地上の間にある宿とされており、感動シーンへもっていくためにSF的飛躍がつかわれている──わけである。さらにまんがやラノベには決めシーンというのがあり、なんかのアニメのトレーラーで「なんとかかんとかだぁ」と叫んで必殺魔法をくりだしている決めシーンをみたことがあるが、つまりまんがや二次創作やラノベの創作者は、白紙状態の脳内にそのシーンがまずポッと思い浮かび、そこへもっていくために話をこじつけていく──という作り方をする。(のではなかろうか。)ここでいえばゾンビに食われたほうがましだ──という主人公にとってゆずれないこだわりを決め台詞にしたもの──へ話をもっていくためにはメタが便利で、ゆえにメタにする。

──というわけでバケットリストとゾンビを組み合わせたまんがができた。のであろう。まんがのほうは知らずまんがに文句はない。が、あんのじょうまんがなら暴れないくだらなさが暴れまくる映画に仕上がっている。

メタというのはアイデアを知った時点で9割の面白みを味わったのと同じだ。ゾンビ世界になったからバケットリストをつくってひとつづつこなしていくコメディぽい話──と聞いた時点で、この映像作品の9割は想定内だった。そこに日本的エモが絡む。こういうメタで見る感動表現──友情や人間感情の発露はうるさくてしかたがない。とっととみんなぶっころしてつぎいってくださいよ。

閑(白石麻衣)がドライで武闘派なのが凡百の「アポカリプスにおける女性キャラ」を踏襲している。もし恐がりで弱かったら特異性があったかもしれない。一匹狼を気取る姿勢や強がってみせるツン気質も完全に類型だった。

アキラとケンチョの友情表現は不要で筧美和子と中田クルミがCAコスプレしてじゃれあう意味不明のドラッグストア内描写もぜんぶ要らなかった。
話には卑劣な上司(北村一輝)から隷属を被り、そこから反発するという波乱も仕込まれているがその顛末もクサクサな感動を絡ませて超うるさかった。あほか。
いけないのは人気のまんがを映画にしようという発想だろう。きっとこれもまんがなら楽しいにちがいないが、それを映像にしたらウケるかもしれないというのがもはや浅はかすぎる。

近年のゾンビ映画新感染やゾンビランドや感染家族や#生きているなどあるいはドラマのThe Last of UsやSweet Homeなどとくらべてこれがどんだけばかをあいてにしているしょうばいなのかということがよくわかった。0点。