津次郎

映画の感想+ブログ

良性メタ MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない (2022年製作の映画)

MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない

3.5

<ネタバレ>

面白い映画をつくろうという動機があるならカメ止めや「MONDAYSこのタイムループ上司に気づかせないと終わらない」のようなのがもっとあってもいい気がするが、こういう映画はあまりないような気がするのはなぜなんだろうか。こういう──というとばくぜんとした定義になってしまうが低予算でアイデアをこねて観衆を第一にかんがえたアマチュア精神の映画。とでも言おうか。

実際の現象でテレビ廻りのクリエイターのほうがいい映画つくるのは定石になってしまっているし、振興をやっているという幾つかの団体の作品群みれば振興が機能しているか、していないのかは瞭然としている。素人の雑感にすぎないが映画やるならカメ止めの上田慎一郎やこれの竹林亮の方法が正常だと思うのは、やはり観衆のことを面白がらせようという動機によって映画をつくっていることがひしひし感じられるからではなかろうか、と思う。

じっさいカメ止めとかMONDAYSみたいな映画あげてみようにも、そういう映画があまりないからこそ、しっかり脚光浴びているわけであって、なにより「MONDAYSこのタイムループ上司に気づかせないと終わらない」がしっかり観衆に好かれていることがなによりの証左ではなかろうか。

本作の舞台は出版の下請けみたいなところで、じぶんは知らない世界だが、こういう世界は階層カーストで下請けが隷属するというようなことを聞いたことがある。構造上奴隷であることを認識しているためスタッフは一種の諦観を抱えている。この諦観がMONDAYSの逆襲の布石になりえることは容易にわかる。ようするに下請けのうっぷんを晴らすような転覆を仕込むことができれば痛快な結びを飾ることができる。

大手は下請けを人間とは見なしていない。かれらの弱い立場はMONDAYSの熱さにつながる。恵まれた環境にいる者やエリートなら熱くはならないが、薄給で会社に連泊するような過酷な仕事をこなしている者らがみんなで協力しあって事態を打破するとき、それは映画的ダイナミズムにかわる。これは遍く映画というものの基調構造だが、その素地にタイムループを絡ませる。
下下が奮起するメカニズムがカメ止めとおなじゆえにカメ止めに似た高揚へつながったのだと思う。

今はファンタジーのひな形をどこかしらメタにする傾向があるんじゃなかろうか。スライムとかゾンビとか”件”とつくやつとか三木聡とか女子ーズとか勇者ヨシヒコみたいなやつだ。カメ止めもメタだろう。

メタがなにを意味しているのかよく知らない(笑)が、たぶんファンタジーを書いてる作者自身が介入してしまうような構造や、はなからタイムループしてますよという虚構で語ってしまうこのMONDAYSもいわゆるメタだと思う。

で、メタするとき重要なことは面白いことをやっているんだというムード、そこはかとない得意面を見せないこと、感づかれないことだと思う。派手にメタするときほど鼻息を見透かされないようにしたい。だからこそ現実的な疲弊感と諦観が大事で、その表情に円井わんはぴったりだった。いいかげんこの理不尽な社会に辟易していますという感じの倦み気配がはまり役で、おたく雰囲気をだした三河悠冴も巧かったしほかの役者も過剰さがなくタイムループに自然に向き合っていた。
面白がってしまうと観衆は醒めるので映画内は「ボクらただ単にタイムループしているだけですよ」──という平常運転を醸成しているところがこの映画の高ポイントだったと思う。

弱者たちはタイムループを抜け出すためとはいえチームを組んで一丸となり、そこから思いがけないほどの熱いところへ昇華する──というとおおげさかもしれないが、劇中マンガの好ましいタッチとやさしい佳話に大きなぬくもりを感じたし、lyrical schoolのTIME MACHINEにもぐっときた。

最初に数珠が原因かと思ったのがフェイントになっていたんだが屋上で数珠粉砕儀式やった後にマキタスポーツ先頭でスローモーション軍団になるところはかんぜんに笑えた。またマンガをやりとげたあと、ああまたしても鳩バンか、と思ったらマキタスポーツバンだったのが巧くて、しっかり組み立てたストーリーとアイデアをもっていって、元請けに対して痛快な反撃もしてみせた。が、結末は小さな歓びにとどめたことで節度とセンスが光った。

(ちょっといいこと言っちゃうけど)「もうこんな社会ヤダけど明日もがんばってみようかな」という気にさせる小品だった。