津次郎

映画の感想+ブログ

骨太な見応え さがす (2022年製作の映画)

さがす

5.0

韓国ノワールや李相日もどきが日本映画のトレンドになっているので猫も杓子もみんなそういうのをつくるからこれもそういうのだと思っていたが違った。はきだめな雰囲気と座間の事件からもってきたぽいサイコ野郎とスリリングなミステリー。佐藤二朗も伊東蒼も清水尋也も森田望智もぐいぐいきた。

たとえば瀬々敬久監督や白石和彌監督なんかのふつうの日本映画だとシリアスムードへもっていくだけはもっていく。が、スリリングにはできない。この映画は途中から倒叙になり、しっかりとした謎解きをやって面白がらせる。かえりみて面白いという尺度で見ることができた超めずらしい日本映画だった。

はじめから泥臭い底辺のムードに気圧される。すてきかすてきでないかといえばすてきでない。
映画というものはときとしてわたしの出自をわすれさせるための幻影だ。きれいなものを見てじぶんが日本にすむ日本人であることを束の間忘れたいがための映画なのだ──という見地がないわけではない。そういうことを映画に求めるとき、じぶんの生活環境と五十歩百歩なはきだめが描かれる映画に食指が動かないのは当然だ。なんで日本映画というものは揃いも揃ってこうまで鬱陶しいのか。さんざん嫌な目に遭っている日常に、なんで映画の中でまで遭わなきゃならないのか。いったい誰がそんなの見るの。・・・。

片山慎三監督を知らなかったので「さがす」は営々といつもの日本映画をつくりだす瀬々敬久や白石和彌や大森立嗣や熊切和嘉や阪本順治などなどのシリアス演歌と同じなのかと思っていたが違った。演出がうまい。吉田恵輔のヒメアノ~ルを見たときの感じと似ている。

日本のクリエイターはたいがい不幸自慢型だと思う。日本のYouTuberがもっともよく使う釣り言葉は“ぎりぎり”や“がけっぷち”や“限界”であり、日本人は往往にして“俺の窮状はおまえより酷いんだぞ”とうったえる謂わば“4人のヨークシャー男”風(モンティパイソンのスケッチ)の自己アピールや作風を好んでいる。映画監督もそうだ。

したがって日本の映画監督は悲惨や下層を描いて自らの創作活動が悲惨や下層に寄り添ってきたという立脚点を訴えるのが好きだ。しかしそこに地獄を感じるかそれとも“俺は地獄を知っているんだぜ”という作り手の承認欲求を感じるのかは観客次第である。岬の兄妹を見た印象はやはり日本の映画らしかった。悲惨や下層といった不幸が誇らしげで日本映画らしい悲惨誇示感“スゲーだろ”感があるわけである。勢いは感じたが常套な日本映画だと思った。しかし“さがす”は面白かった。日本映画で面白かったという感想をもったのが超珍しかったので、はっきりいってよく解らないが、なにしろこれは面白かった。

佐藤二朗が見たことない骨太な印象を出して、すこし笑いもとる。じぶんは佐藤二朗がすきだったがはるヲうるひとという映画を見てすきではなくなった。が、演技しているときのひょうひょうとした感じはやっぱりよかった。

「さがす」は映画自体が嫌悪を発している。観る者は暗くて悲惨で嫌だ嫌だと感じるような奈落に落とされる。ホラーよりも効果てきめんに落とされる。それが最後までいっこうに晴れない。にもかかわらず何か力強い手ごたえがある。

しっかりものな楓(伊東蒼)のまともさが予定調和へもっていってくれるわけでもない。
くそな奴にはまってくそなことをするくそな世界で、嘱託殺人を依頼した女(森田望智)は最初の出会いでしねなくて、飛び降りをはかったが手足を骨折しただけでしねず、再度の依頼でしめ損ねて息を吹き返し、またしめろといってしめてもらってやっとしぬわけである。そんな夢も希望もない暗黒なのになんか得体もしれない力強さがある。それがなんなのかわからないが、得体の知れなさと面白がらせるのを両方やっている驚いた映画だった。