津次郎

映画の感想+ブログ

わりと強引 沈黙のパレード (2022年製作の映画)

3.3

全員が関わっている気配が察せられ真夏の方程式のように倒叙でもっていく。構造がわかると冷めるが演出は巧い。ただ容疑者Xの献身も真夏の方程式も出来が良すぎたので煎じの感覚が拭えない。なんとなく華や興も欠けていて、吉高由里子や渡辺いっけいの存在がこのシリーズをどれほど和ませているか、居ないことでよく解った。

ドラマの常套手段としてよく使われるシチュだが、突きとばしたとき、当たりどころがわるくてシんでしまう──というのがある。
ちなみにこれを使うとドラマが一気にうさん臭くなる。

本作でも、悪意なく突きとばした拍子に倒れ、シにはしないが意識をうしない、シんだと誤認される──という展開があり、かなり興醒めだった。
突きとばされてシぬってのは、なんつうか豆腐の角に頭をぶつけてシぬ──みたいなもんであって、ましてガリレオで使われていることで悪目立ちしてしまった。

また、まだまだ福山雅治も北村一輝も柴咲コウも若いけれど、いずれ世代交代もあるのかもしれないと、今回思って、ちょっと哀しい気分になった。

──というのは、たとえば金田一耕助といえば石坂浩二だ。ロートルにとってそれは絶対で、古谷一行でも長谷川博己でもやはりちがう。

こういうのは007などとは違い湯川学はぜったい福山雅治なのだ。その認識があると世代交代するとなれば、やっぱりちょっと哀しい──わけである。

さらにロートルファンはドクターストレンジのかたわらにはかならずベネディクトウォンが居るみたいに、ずっと湯川先生のかたわらには渡部いっけいが居てほしかった。

まだまだ若いとはいえ、湯川先生の顔の輪郭に年輪を感じ、世代交代のことを考えてちょっと動揺した──という話でした。

──

個人的に日本映画のレビューで再三言うことだがテレビ系の監督には出来不出来以外の文句がない。

テレビ畑の監督は、基本的に非アーティストで、情熱や衝動などに突き動かされて映画をつくっているわけじゃない。

撮影所で技術を習得し、それをエンタメに転換している職人。非旬報系と言ってもいい。日本映画が地に落ちたのは映画をアートと勘違いする輩が跋扈したからだ。

現実に近年のカメ止め以外の日本映画の成果といばガリレオのシリーズやHEROやマスカレードや踊る大捜査線や罪の声や祈りの幕などでありすべてテレビ出身の監督によるものだ。そのことをもっと多くの観衆が認識することによって旬報系のアート映画がいずれは全滅してほしいと個人的には思っている。