津次郎

映画の感想+ブログ

Strange meets Evil Dead ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス (2022年製作の映画)

ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス (吹替版)

3.7
スカーレットウィッチつええ。
それに比べてイルミナティの弱いこと弱いこと。
陰謀論者の大好物、最凶の「イルミナティ」がマーベルコミックの中じゃへなへなの最弱ヒーロー集団だった。

ていうか(スカーレットウィッチが)無双すぎてバランスの崩壊すら感じた。だいたいこの強さならウルトロンときの体たらくはなんだったんだとか、サー・パトリック・スチュワートがわざわざやられに出てくるのは失礼なんじゃなかろうかとか、──よけいな事を思った。

ロートル(旧世代)的に「おっ」と思ったのは監督のサム・ライミ。
街の売り子役でブルース・キャンベルが出てきて、成程サム・ライミだった。

これまで多様な監督がマーベルorDCに起用されてきたが、資本が大きすぎる映画では、監督のカラーがでにくい。
それでもマーベル/DCは、積極的に気鋭のアート系監督をピックアップ/起用している。

デスティン・ダニエル・クレットン、クロエ・ジャオ、ケイト・ショートランド、ジョシュ・ブーン、キャシー・ヤン・・・。

映画は新しい血の導入で刷新されていく──という創意を汲み取ることができるが、本作のばあいゾンビのくだりがある。
そんで「それならサム・ライミが適任だ」になったんじゃなかろうか。なんかとてもサムライミなマーベルだった。とりわけ埋葬されたストレンジが蘇るところは、まさに水を得た魚だった。

映画は簡単に言うと、ワンダ=スカーレットウィッチの気の迷いに、全宇宙が巻き込まれるという話w。その動機は弱かったが、贅を尽くした職人映画で文句はない。

ストレンジとウォンのコンビが楽しい気配で、いつでもフェミニンを失わないエリザベス・オルセンもよかった。
出色はアメリカ役のソーチー・ゴメス、撮影時16歳のメキシコ系。しっかり濃くて明快。ヒアル注入したい人の垂涎の的になるような唇。ハリウッドで勝てる顔だった。

ところでヒーロー/ヒロインの必須条件とはなんだろう。
その答えはいじっていない顔ではなかろうか。

あちらの映画へ出演した日本人は沢山いる。が、マーベルやDC──コアな大作に出演したのは真田広之と忽那汐里。
ハリウッドがもとめているのはつねに国籍を反映している顔立ちだ。
ベネディクトウォン、ソンガンホ、マシオカ、ヒロユキタガワ、ダニエルデイキム、ケン・チョン。サンドラオー、ルーシーリュー・・・。

テレビシリーズ、ミズ・マーベルに抜擢されたIman Vellaniはややポチャで拍子抜けするほど庶民的なパキスタンの女の子だ。

言いたいのは、キャスティングでぜったいに外さないのはナチュラルな顔立ち──ということ。(むろん不器量じゃだめだが)ハンサムや美人以上に、それが必須になる。俳優としての成功もヒーロー/ヒロインになるのも、いじっていない顔が条件になるという話。

この純理が日常だとなんとなく逆になる。
たとえばYouTubeやTiktokをひらくと、いろいろ注入してバランスした顔が人気者になっている。エンタメニュースでは毎日、いろいろ注入してバランスを失いつつある女優orモデルが「美しい」と絶賛されている。もちろんいじるのはわるくないが、映画やドラマにはキャスティングされにくくなる。(うまくいじって一定のバランスでいじるのをやめた人ならいいが。)

ソーチー・ゴメスやIman Vellaniの顔は一見素朴だけどじつは世界中がなりたい黄金比をもっている。と思った次第。