津次郎

映画の感想+ブログ

アイロニカル バービー (2023年製作の映画)

バービー

3.5

<ネタバレ>

エブエブみたいだった。──というのもエブエブは派手な見た目だったが母娘の和解と“君は特別な存在なんだ”ということが描かれていて、バービーも派手な見た目だったが母娘の和解と“君は特別な存在なんだ”ということが描かれていた。──ような気がしたから。

白眉だと思ったのは母グロリア役のアメリカフェレーラが現世界のしがらみを演説するところ。
ケイトマッキノンが演じるやさぐれバービーのところで打倒ケンランドしようとするときバービーがわたしなんかぶさいくなのよと泣き言をぬかしはじめたので激励する場面だった。
グロリアは世の中何をやっても余計なことをいう奴がかならずいて出る杭は打たれてしまうのだ──という話を熱弁したのだった。

長い台詞だったので覚えていないがSNSにつくコメントとして考えると解りやすい。(たとえば)痩せているとふくよかなほうが健康的とかいわれる。太るとデブよばわりされる。儲けていると守銭奴だのがめついだの言われる。子育てしていると子育てアピール乙とか言われる。リーダーをやると上から目線だといわれる。きれいでいようとすると媚びだと言われる。何をやっても茶々を入れられる。なにをするにもバランスをとらないとできない。そういうがんじがらめな世界なので嵌まるようにじぶんを押し殺す。──というような話だった。

たとえば先般、畑違いのボディメイクコンテストに出場したとあるカーリング選手の外観の変化に対しネットで盛んにコメントがついた。そのほとんどが「元のぽちゃ体型のほうがすきでした」というものだったが、いやいやおまえの意見なんかきいてないし、他人様の向上心を摘むような発言は黙っとけよ。──という話。
バービーは姿形の理想値を人形で具現化することにより、ボディイメージによる差別を助長してきたといえる。そのことを自戒というか自虐ネタにしたセルフパロディが映画バービーというわけ。

ガーウィグとバームバックの夫婦チームが書いた脚本でアイロニーの切れ味はさすがだった。
フェミ映画だと言っている人がいたがフェミ映画ではなく多様性への応援歌になっていてバランスを保ちながら生きることを推奨している。

きみの個性も自己肯定感もわかったし気持ちの上ではそれで生きていい。だけどその個をモロ出しにしちゃうと社会との間に軋轢が生じるからスピードを緩めて2位くらいにしといたほうがいいぞ、と提案している。

Mr. Incredible(2004)のラストで“ダッシュ”が出ている運動会を家族で観戦しているシーンがあったでしょ。
で、ダッシュは速すぎるので父ちゃんのインクレディブルが「スピード出し過ぎんなよ」てな感じで応援しながらもセーブしろってややこしい声援を送るシーンあったでしょ。

あれがこの映画の縮尺。“みんなちがってみんないい”という理想郷標語があるけど、ほんとの標語は“みんなちがってみんないいけど工夫しないと自殺することになるぞ”だ。映画バービーが言っているのはそういう話だった。

IMDB7.4、RottenTomatoes88%と83%。

前述のごとくアイロニカルなのでにやける場面多数だが、にやけながらも意味を解ったうえでにやけているのではなく、なんとなくにやけていることを自覚していた。
とはいえこの映画のおもしろさはわかるしアメリカでウケてるのもわかるが、じぶんはノれなかったというのが正直な感想。
英語圏でバービーやケンと過ごしてきたという来歴がなければ映画バービーの真髄はわからないのではないか──と個人的には思った。

だいたい多様性を言うなら防空ずきんをかぶってもんぺをはいて竹槍をもった銃後バービーや特攻服に日の丸はちまきをした神風ケンがいてもいい。かれらがLAのビーチに上陸してほしがりませんかつまではとかばんざいとか絶叫しながらバービーやケンと白兵戦をやるというならいざしらず、およそ生活環境にバービーがある文化圏向けの映画という印象は否めなかった。

演技陣では人形的な演技に徹したせいでロビーにもゴズリングにも魅力を感じなかったが、マッキノンはバービー世界にもかかわらずマッキノンだったし、ガーウィグだろうがバームバックだろうがいつでもどこでもウィルフェレルはウィルフェレルだった。

まとめるが映画バービーが言いたいことはバービー以後に湧いたバービーわかる感を出してくるインフルエンサーに対して無理すんなというツッコミをいれないでやんわりと彼または彼女のバービーわかる感を認めてあげなさい──ということだ。ひるがえってバービーのテーゼとは他人様が出してくる我(が)や生き様にいちいち茶々入れんなということだ。