津次郎

映画の感想+ブログ

すぐ撃つんだから インディ・ジョーンズと運命のダイヤル (2023年製作の映画)

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル

3.7

すぐ発砲する映画だな──と思った。
マッツが演じているユルゲンの部下にすさまじく短気な奴がいて見境なく鉄砲を出すやバンと撃っちまう。彼以外でもわりとすぐに撃つ傾向があり、とりわけ相手がジョーンズ博士でないときはあっさりと撃つし撃たれる映画だった。

冒険活劇の王道を走る映画で文句はないが冒険活劇では細かいところを大胆に端折ったり見捨てたりするので小市民的にはそこここに細かい遺恨を感じた。
たとえばモロッコではトゥクトゥクを強奪するしシチリアでは缶々を引いてはしる結婚披露車を強奪するしカーチェイス中に露天商の三つや四つは私財を失っているだろうが無論そんな細部を言ったら冒険活劇なんかつくれないのは知っている。
ちなみに三つ巴になるモロッコでのカーチェイスは個人的な映画鑑賞歴内でももっとも苛烈なカーチェイスのひとつだったと思う。

何度かトンネルを通過する列車屋上の格闘という定番設定もハラハラドキドキにつくってあり冒険活劇として全方位だったがスピルバーグじゃないだろうなという感じはあった。スピルバーグが監督しているか監督していないかは(なんとなくにせよ)わかる気がする。

ジェームズマンゴールドの演出はスピルバーグのような普遍性があるもののそこはかとなくスピルバーグじゃなかった。だけどソツのなさがスピルバーグっぽくもあった。

つまりスピルバーグが監督しないにしても名の知れたシリーズを癖っぽい監督に振るわけにはいかなくてシリーズを逸脱しないスピルバーグっぽさを求めた──という印象だった。

マンゴールドはその意向を汲んで、というかじぶんの監督として立脚点よりも、ディズニー&ルーカススタジオのインディジョーンズシリーズをつくるという立脚点を重んじて監督していた。ようするに職人に徹したからスピルバーグのような仕上がりになった。というわけ。結果なにひとつシリーズを逸脱しておらず、さすが巨大プロダクションだった。

大戦時の過去描写ではじまり“映画内現在”はアポロが月面着陸した1969年辺りという映画だった。過去のインディをほとんど記憶しておらずこれを見るにあたって復習もしていないのでそういう話なんだと思って見ていたがフォードは81歳でカレンアレンは71歳だった。アクション映画のヒーローが81歳であることはすごいことだ。

CGやVFXによって若かりし頃も描ける時代とはいえ若いジョーンズ博士は精巧なハリソンフォードのクローンだった。が、それにも増して金のかけかたの凄まじさ。いくらかかってんだこれ──というような金の湯水感を感じる映画だった。とりわけアポロのパレードやシラクサの海岸。シーナリーが全画面になったときの再現度がお金のかけ方の物差しになると思うが、そういう全画面のときに手抜きなしだった。confettiが舞うパレードの再現なんかむしろなんでここまでやるんだ──という密度だった。

ニューヨークからモロッコやシチリアへ飛ぶから景観も楽しめるが演技陣ではトビージョーンズのバジルがよかった。バンデラスはこんなんで出てもらってわるいねと思えるほどあっけなく撃たれた。ヘレナ役のPhoebe Waller-Bridgeは鼻がすごく高かった。

Imdb6.7、RottenTomatoes69%と88%。簡単に言うと王道すぎることと、利発だけど狡猾なヘレナに全体がかき回されてそれが概ね7割という評を形成した──という感じ。

じぶんの身の周りでも見る前に賛否二種の意見を聞いていて、旧世代には楽しんだという意見が見られ、若い世代はけっこう白けている印象があった。(じぶんの見聞きした狭い範囲内での意見に過ぎないが。)

しばしば世代交代ということを感じる。なぜきょうびアクションヒーローたちは、そろいもそろって初老なのだろう。ダニエルクレイグだってキアヌリーブスだってロバートダウニージュニアだってジョニデだってみんな5、60代である。こないだ見たフラッシュでは72歳のマイケルキートンがバットマンやってたしエクスペンダブルズなんかどう見たって老人クラブだ。

だけどはまり役というものがあるから交代ができない。インディジョーンズといえばハリソンフォードであり金田一耕助といえば石坂浩二であり湯川博士といえば福山雅治でありキャラクターにはあなたじゃなきゃだめなんだというはまり役というものがあって、それが観衆の記憶の中にも生きている。みんなが見たいのはそれを演じる彼/彼女であり代用はきかない。だから顔をすげ替えてでもハリソンフォードの壮年時をつくる価値があった。

したがってこの映画の白眉は「誰のために?」って言うところだ。

インディはやることはやりつくして独り身だからもうしぬだけだと思っていた。だからBC214のシラクサ包囲戦に、ここに俺を置いてけと言ったんだし、助けられて目覚めても「誰のために?(存在したらいいんだ?)」と言ったんだ。

だけどそこへひょっこり別居中のマリオンが買い物から帰ってくる。人間、誰かに必要だと思われていることが生きる糧になるからヒーローの幸福な終の住処を感じるラストだった。

ただしそれは映画内の話。
ハリソンフォードの「誰のために?」っていう問いの真の回答は「あなたが何歳になってもジョーンズ博士を演じてほしい、わたしたち映画ファンのために」ということになる。
だから旧世代には刺さった反面、若い世代にはちょっと、という評価二分がおこった──というわけ。