津次郎

映画の感想+ブログ

下痢注意! ウェディング・ハイ (2022年製作の映画)

1.0
披露宴にまつわる人間模様。
群像劇で“あるある”ネタを羅列する。

会場/ドレス/テーブルクロス、あらゆる選択にたいする男女の温度差、
“クリエイター”になれなかった人間の自尊心を充足させる「紹介ビデオ」の製作、
スピーチを依頼された上司らの心理劇、
余興を披露する者たちの葛藤、
会場スタッフらの苦悩、
──などなどの披露宴あるあるが描かれる。

が、まさに“あるある”でしかなく、作家(脚本家)の創作ではなかった。(と思う。)

あるあるを描く披露宴が終わると、元彼と泥棒の番外編が描かれるがそっちょくに言って「それがどうした」話。
ヒネりも味もなくスラップスティック(ドタバタ喜劇)にもなっておらず異様に汚い。(おそらく韓国以外でウンコをネタにつかった創作物をはじめて見た。)

けっきょく笑えるところはなかった。
(共感性羞恥心で恥ずかしくなるところは山ほどあった。)
が、わたしの主観なのでそこは譲ってもいい。

また映画内世界には新型コロナウィルスがない。
基本的に世界はがっつりとウィルス禍と向き合っているし、がんらい披露宴会場を含めた宴会場がもっとも影響を被った業種といえるため、違和感はあったが“コメディ”の謳いなので、そこも譲ってもいい。

中産階級かつ都市部での話。
普遍性を装いつつ普遍的ではない。が、それも譲ろう。

ただし。
会場選びとか引き出物選びとか、上司に祝辞をお願いするとか同級生に余興をお願いするとか、いったいこの映画は何年前、いや何十年前の話なんだろうか。

世界がコロナ禍にのまれる前からほとんどの庶民が大人数の披露宴をやらなくなっていた。披露宴と披露宴会場が過去の遺物と化していた。
庶民生活をカリカチュアしているはずのあるあるコメディが、なぜ庶民の感覚とズレているのだろう。

もっと言うなら、概して日本映画というものがいちいち観衆の感覚や時代性と悉く乖離してくるのは何故なんだろうか。
ていうか、概して日本映画というものが観衆の共感性羞恥をくすぐる以外の芸をもっていないのは何故なんだろうか。

今や日本映画/ドラマはできが悪いだけじゃない。謎の不文律が支配するミステリーなのである。映画ファンのあなた/わたしを深い混沌に落とし入れる。

どうでもいい余談だがわたしはかつてバンケットマンだった。20年以上ホテルや宴会場を転々とした。先導も何組もやった。つらい記憶しかない。
お客さまの笑顔が嬉しかったり、お客様からのねぎらいの言葉が労働意欲につながる──ってのは企業やコンサルがわたし/あなたにかけた呪詛にすぎない。

披露宴が押しでその短縮がスリリングを提供するという構成があったが不快以外のなにものでもなかった。昔の俺がそんな状況に見舞われたらたぶん発狂していただろう。

もちろん、映画につみはなく、見たじぶんがいちばん悪かった。

わたしもコロナ禍で困窮したが結婚披露宴のようなくそみたいな行事が世の中から消えるのはいいことだ。もともと形骸化していた冠婚葬祭が禍でぜんぶ消滅すればいいと思っている。