津次郎

映画の感想+ブログ

大時代 ウェディング・プランナー (2001年製作の映画)

ウェディング・プランナー

2.6

昭和の結婚式はほとんどが神式だったが教会式が輸入されると瞬く間に定着した。非キリスト教徒にもかかわらずチャペル式が定番化したのは花嫁の憧憬を具体化していたからだ。教会を備えた結婚式場が乱立しオルガン奏者や英語なまりを操る白人役者ににわか需要が生じキリスト教徒ではないばかりかいかなる教徒でもない親族郎党が全員で「慈しみ深き友なるイエスは~」と312番を歌った。

これらの茶番をささえたのはチャペル式とそのマーケティングが花嫁の琴線をド直球的にくすぐったから、だった。父親とバージンロードを歩き指輪を交換し誓いのキスをし花びらのシャワーを浴びる・・・そのような皮相のパラメータに対して、花嫁というものは下妻物語に出てくる桃子がロココ時代のおフランスに生まれたかったという願望を吐露するようなきわめてプリミティブな憧憬をたずさえていたのだった。

女のほうが男よりも頭がいいと思うことのほうが多い。が、ゼク○ーなどの謳いにのせられて理想の結婚式及び披露宴をしようとするところだけは女はばかだと思う。
わたしは宴会場やホテルのバンケット部門に長年いたが、基本的に結婚式及び披露宴は結婚したことを多数の人々に知らせなければいけない人がやるものであり、ほとんどの庶民にとっては必要のないばかげた出費だと思っている。たとえば軽井沢の財政が潤沢なのは花嫁の憧憬で食えてしまうからだ。賢いはずの女が高原+チャペル式に少女のような憧憬をたずさえていることを知ったら男たちは愕然とするだろう。

ただし結婚式および披露宴の業界はコロナ禍へ入る前からすでに絶滅寸前だった。
すでに大げさな式や宴は芸能人しかやらなくなっていた。
で、箱が取り残された。
きょうび全国どこの街にも教会を備えた結婚式場がそびえ建っている。どこへ行っても店舗と道路のファスト風土にいきなりチャペルがあらわれてちぐはぐが強調される。

そういう大仰な建物を維持するのにどれだけの式をやらなければならないか、想像がつくはずだ。しかもそれらは民間企業。われわれはなんと危うい商売をしていたことだろう。なにもかも失ったがつくづくコロナ禍は世の膿を出す試練だった。

チャペル式の一般化と連動するように、ウェディングプランナーが人気職となった。
とんでもなく流行した。
信じられますか。

プランナーになりたいという女子の気分は花嫁の憧憬のように表面的なもので「新郎新婦の夢をかなえる仕事」とされ、この映画もその功罪の一役を担ったが、じっさいウェディングプランナーの責任と労力とそれに見合わない給与は生き地獄であり、一生に一度などと言われて失敗が許されないにもかかわらず客はそこらへんのDQNカップルだらけだったw。

この世から結婚式や披露宴がなくなり、チャペル式場と披露宴会場がぜんぶ潰れ、習俗も消えてなくなればいいと思う。三三九度をやっていた時代とちがってもはや式の意味が完全破綻している。もうぜんぶ詐欺のようなものだ。これから金がかかるってときに式や宴や引き物や指輪なんかに金をつかわせるのは泥棒みたいなもんだ。

本作はロペス人気も手伝って職業としてのプランナー人気の一翼を担ったが、ようするにわたしがいちばん言いたいのは、こんなかっこいいところはプランナーの仕事に一側面もありませんよ──ということ。ましてどんな田舎にもウェディングプランナーがいて昨日まで野良仕事をやっていた父母の世話をするわけである。そういう実際的な泥臭い部分が一切省かれて、ウェディングプランナー職の人気が一人歩きしていったわけである。

したがってこのロペスに憧れて当時大量にブライダル関連職に就きそのほとんどがすぐに辞めていった──という功罪が本作にはあるが、映画自体はそう目くじらたてるようなものではなく、あまり出来のよくないロマンティックコメディでロペスはゴールデンラズベリーにノミネートされたw。

この映画の要点は、現実世界での億万長者が役とはいえウェディングプランナー職という貧乏籤を引いているというギャップにある。それが当時はまったく解らず、ロペスのようなきれいでスマートで賢い人物だからこそウェディングプランナーをやるんだと誤解されたわけである。

完全に余談だが、先日どこかの有名宿の温泉で湯換えを怠っていたというニュースがあり、その後経営者の自死が報道された。氷山の一角ではなかろうか。すなわち、とうぜんのように為されているはずというサービスがやってないなんてことはこの安全神話があまねく広まった日本社会に、いくらでもあるんじゃなかろうか──と思ったのだ。というか絶対にある。
と同時に、サービス業に長らくいたわたしはじぶんが怠ってしまったあの時の確認や点検やルーチンのことを閃光のように思い出したのだった。

なにが言いたいのかというと仕事をしているに過ぎない人に何かを委ねたり求めてはいけないということ。お金を払う側のほうが身分が上という日本人的感覚をやめろということだ。