津次郎

映画の感想+ブログ

アンヌ+:THE MOVIE(2021年製作の映画)

アンヌ+:THE MOVIE

3.4
映画のなかでは多様性に親しんでいるが、わたしたちの多くは、一生涯LGBTとまみえないかもしれない。

人様のことは知らないが、少なくともわたしは、タイやこの映画の舞台のアムステルダムのように、セクシュアリティの多様と、そのインフラ(=ゲイコミュニティ)がある場所には生きていない。

半世紀ほどの人生で、LGBTにまみえたのは、むかし働いていたホテルに出入りしていた(教会式結婚式場の)牧師がゲイだったこと──くらいである。それだって知らなくて、後日になって人から聞いた話に過ぎない。

現実世界でLGBTの人と会うなり話すなり──したことがない。それは「あなたには隠していたにちがいない」ということなら、そんなの知るもんか──である。

ヤフーニュースには一般庶民がコメントを入れられる。
いわゆるヤフコメ。
じぶんはヤフコメをみるのがすきだ。

ヤフコメにはどんなニュースにたいしても知ったかぶりしたコメントがならんでいる。匿名ゆえ、立脚点を明かさなくていいから。旅の恥とヤフコメは書き捨てでいい。──かのよう。かれらはなんでも知っていて、どんなことも経験している。

とすればヤフコメ民なら、この映画も経験則から評価できるだろうか?
LGBTが自然に語られる土壌が日本にあるだろうか?

アブデラティフケシシュ監督の「アデル~」(2013)という映画があった。
とても感動してレビューにこう書いた。

『演出も演技も脚本も、あらゆる映画的手法が見えないのに、近接カメラだけで、しっかりとアデルの恋と成長が描かれている。五点満点超過。息もできないほど素晴らしかった。』

思えばあれはLGBTの映画だった。だけど恋愛映画だと思って見ていた。君の名前で僕を呼んで(2017)──にも同じことが言える。レビューにこう書いた。

『その豊潤な桃源みたいな処で展開するこの映画は、世の中に遍在するプロット「ひと夏の思い出」であって、「ひと夏の思い出」のなかの主人公が、誰でも葛藤するように、エリオもじぶんは男が好きなのか女が好きなのか──性向に初めて直面して戸惑っているだけ、です。つまりLGBTではなく、初恋と失恋の話です。』

日本に同性が愛し合う自然な映画があるだろうか?日本のLGBT映画の頂点が彼らが本気で編むときは、(2017)──だとしたらLGBTは日本映画上ではいわゆるクィアベイティング(←いまさっき知った語です。)でしかない。

たんなるファッション。キャラクターの特徴付け。LGBTに理解がありますアピールのためのLGBT。おネエ語を話す藤井隆(みたいなもん。)

この映画も、ただの恋愛映画にしか見えない。で、わたし/あなたの環境との差異というか懸隔を意識すると、LGBT差別という語にすさまじい違和感をおぼえる。

LGBTのない場所にLGBT差別はないから。

わたし/あなたは地元のあぜ道で会った農夫に「黒人を差別してはいけない」というパンフレットを配るだろうか?

たんなる恋愛映画と解釈しましょう。LGBT映画をLGBT映画と特別視するとLGBT差別というか区別になりますよ。──という話。

よかった。紅い頬が特に。