津次郎

映画の感想+ブログ

クローンの愛 もっと遠くへ行こう。 (2023年製作の映画)

もっと遠くへ行こう。

1.7

設定は2065年。地球がやばいことになったんで宇宙ステーションがつくられ、その試験プログラムに搭乗できる人が抽選で決まる。

いったん行ってしまうと2年帰れないから、地球に残る者のために、代替のクローンAIヒューマノイドが元の生活を続ける。

郊外の孤立した農家に夫婦が住んでいて、夫が抽選に当たる。

それで、夫は行ってしまうわ、妻とクローンが愛し合ってしまうわ、それが納得できないわで哀しい事態に陥っていく。(──という理解でいいんだろうか。)

未来だが、未来描写はない。複雑な話ではないが、叙情的な描き方をしていることと、クローンに入れ替わったタイミングを晦まし(くらまし)ているのでわかりにくい。

それらの曖昧さと対称的なのがメスカルとローナンの熱演。

こちらは映画内設定を呑めていないのにエモーショナルな表現に圧され、いったいなにやってんだ──というカラ吹かし感に包まれた。脚本が世界観の構築とキャラクターを管理できていない。

imdb5.3、RottenTomatoes24%と56%。

編集もうまくないし、Iain Reidという人の書いた原作の批評を見ると、ホラーや心理スリラーに分類され書評からもおそらくこんな話(=エモーショナルなロマンス)じゃないと思った。

にしても、このあきらかな失敗作のために、メスカルとローナンがやりとげた熱演にはねぎらいの価値がある。

Tomatoes批評家たちもそれを皮肉っていて「熱い混乱」だの「真顔で取り組んだ俳優はメダルに値する」だの「際限なく大げさなおしゃべり」だの「タイトルは敵、本体はまやかし」だの「雰囲気とスターのカリスマ性だけ」だの「今年度最も乱雑な脚本のひとつ」だの「成功した小説の失敗した改作」だの「絶えずセックスしつづけるのに感情を刺激しない」だの「優れた演技は弱い脚本を救えない」だのと祭り状態。

ふたりの演技によって、この映画がもっていきたいと思っている悲哀はなんとなくわかる。が、もっていけてない。もっていけてないのに、映画はあたかも文芸域にあるような真面目そうな顔をしている。(=要するに気取っている。)そういう様態が日本映画的、素っ裸になって監督の要求に応えるのに徒労だけが残るところも日本映画的。

監督のGarth Davisはデビュー作Lion(2016)によって一躍時の人になった。
インドの男の子がオーストラリア夫婦の養子になって成長しやがてルーツをもとめて旅にでる・・・。いい映画だったが、これを見てあれはまぐれだったのかも──という懐疑に至った。