津次郎

映画の感想+ブログ

いろんな世代の岐路 こんにちは、母さん (2023年製作の映画)

こんにちは、母さん

2.7

寅次郎の周りで起きるようなドタバタを経て、ひとまずの一件落着へもっていくが、いろいろと風変わりで共感できるところは少なかった。

概説によると『母べえ(2008)、母と暮せば(2015)に続く「母」三部作の集大成』──とのことだが、どちらかと言うと東京家族(2013)や家族はつらいよ123(2016~2018)に連なるような家族に焦点がきている話で出来はけっこう粗かった。

メンヘラっぽい木部(宮藤官九郎)のエピソードはわりと突飛で、娘(永野芽郁)のセリフもなんかズレていて、昔の人が現代を描いているという印象が拭えなかった。寅さんの映画だったらしっくり収まるドタバタが現代劇では暴れる──という感じ。

言ってみれば新作でありながら既に懐かしい。そのこと自体に哀愁はある──とはいえ。

田中泯が演じているホームレスの老人は橋から川に飛び降りてB29の空襲を逃れたそうだが、現代ドラマにとってつけたような“戦争による泣き要素”が挿入されている感が拭えず、設定が浮いていた。
他にもしみじみできないエピソードが多かった。

ただしラスト近くで母の福江(吉永小百合)が次のようなセリフを言う。

『かあさんが怖いのはね、いつ死ぬかってことじゃないの。いつ歩けなくなって、いつ寝たきりなるかってことさ。なにもかも人のお世話になるっていうのは、どんなに情けないことだろうね。そういうことが起きる日がすぐそこまできているのに、まだ大丈夫まだ大丈夫って希望をつないでいる。・・・』

50歳を知命と言うそうだが、50くらいになると確かにこういう言説がよくわかる。

日本ではしぬのはだいたい癌か血管系といわれている。
癌だと闘病になるし血管系だと突然ぶったおれるし、予防していてもコントロールできずに、人様のお世話をこうむる身体になってしまうことが往往にしてある。

そうなってしまう前に自分の意思で逝ける法律や制度があったらいい──ということを、高齢化社会を描いている映画のレビューなどで何度か言ってきた。

山田洋次監督もそれが怖いんだと思う。だから、東京家族も家族はつらいよの三作品も、この映画もぜんぶ遺言のようなものになっているのだと思う。前述した吉永小百合のセリフも山田洋次の気持ちを代弁したものにちがいない。

というわけで気の晴れない映画だったが、寺尾聰演じる牧師の荻生さんが昭夫(大泉洋)がまだ若いって言うので、さらに気分が沈んだ。

『ほんとうに若い、まだいくらでもやりなおせる。わたしは焦がれるような羨望をこめてそう言うんですよ。』

現代社会がやっかいなのは50歳が若いってことでもある。それはいいことだ──と思うかもしれないがいざ50歳になってみるとこれからどうやって生きたらいいんだという昭夫みたいな気分になっているものだ。むろんそうならない人もいるのだろうが50歳になってさらに50年生きるって考えたら、福江や荻生さんのような80歳の心境にはなっていないわけである。

離婚し離職することにもなる50歳の昭夫は、今のじぶんを未来から顧みたとき「焦がれるような羨望」の時代になっているなんて思いもしないだろう。人生を知悉している人が書いたドラマなのはよく解った。

ところで加藤ローサを久々に見て、この既視感の出所を思い巡らしたら、かつて大泉洋と共演したシムソンズ(2006)に思い至った。

よくできたスポ根ドラマで大泉洋をはじめて見たのもあれだった。まとめ役加藤ローサ、幼馴染み星井七瀬、地味っ子高橋真唯(岩井堂聖子)、クールな藤井美菜と訳ありコーチの大泉洋。みんな活き活きと描かれていて、がんばっていきまっしょいに並ぶカルトだと思う。