津次郎

映画の感想+ブログ

人生、祭の後 レスラー (2008年製作の映画)

5.0
かつての顔をおぼえていると、違和感をおぼえる俳優がいる。
老化のせいではなく、いじったばあいだ。
きょうび、昔と違って、老いに罪の気配がある。
だから、人に見られる職種は「劣化」に抗ってみようとする。

いじり過ぎて、その容貌魁偉が、かえってもてはやされた創始者はMロークではないだろうか。
ダリルハンナもいじって顔が怖くなってそれを武器にしている。
そんな俳優がこれからも少なからず出てくると思う。

不思議なもので、いじると誰もがJocelynWildensteinに似てくる。
画一的に同じ方向へ近づく。
大好きだったデニスリチャーズにもその傾向が見られた。ワイルドシングスの彼女はパラダイスのフィービーケイツみたいにバイラルだったが、ボトックス感が露わである。

もっともわたしは整形した俳優に好感をいだいている。
老いに対抗しようとすること、あるいは、崩壊を止めようとして崩壊するというペーソス、そこには人間味がある──と思っている。

この映画はMロークぬきには成し得なかった。
アロノフスキーもかれが整形ジャンキーであるからこそ起用している。

ハリウッドの栄華からボクサーへ転身し、出戻った。
整形を繰り返し、かつての甘いマスクはどこへやら。
理想と現実のはざまを彷徨ってきた、やんちゃなMロークの美しい成れの果ての姿が、わたしを打つ。
映画の完璧なフォルムとあわせ、この映画のことを思うと、とても胸苦しい。
場末で往年のレスラー仲間とサインに応じるシーン。
客足はまばら。
見回せば老い、老い、老い。
残酷でかなしくて美しい。

老いてなお、ではなく、老いてからの時代を築く俳優は稀だ。Mロークはこの映画だけでそれを築いた。本人がどう思っているか知らないが、もう何も思い残すことはない──そんな映画だと思うがAshby(2015)も良かった。はれぼったい顔に生きざまがある。

マリサトメイは私にとってはいつまでもいとこのビニーの人だが、Mロークとは真逆の意味で完全に生き延びた女優だ。
老いてもナチュラルできれい。
人造老いのMロークと合わせたキャスティングは慧眼だと思う。

完全に名画だと思います。