4.0
良作ではあったが名画とまではいかない。だけど同時代の人でいとこのビニーにしっかりした記憶を持っている人は多いと思う。ベストにあげるほどじゃないがみょうに懐かしい。
『goodではあったがgreatではなかったにもかかわらず(Despite the good-but-not-great initial reviews,)『いとこのヴィニー』は1990年代で最も記憶に残り視聴された映画の1本として一般に評価されている。この映画は、家庭用ビデオの販売とレンタル(当初はVHS、最終的にはDVD)で好成績を収め、ケーブルテレビでも頻繁に放映された。映画のキャッチーな名言もよく知られるようになった。』
WikipediaのMy Cousin Vinnyにそう書かれていた。
言われてみると確かにいとこのビニーを見たのはレンタルVHSだったかもしれない。いずれにせよWikipediaの一文『1990年代で最も記憶に残り視聴された映画の1本として一般に評価されている』には首肯するところが大きかった。
批評家からは意外に法廷シーンに見応えがあると指摘されている。法廷映画といえば名画が多いが末席にいとこのビニーが入ってくることがよくある。じっさいに多数の判事から裁判戦略や刑事手続きの正確性を称賛されているそうだ。
さいしょは賢さの見えなかったビニー・ガンビーニ(ジョー・ペシ)がきっかけを得て饒舌になり証人を追い詰めていく様は見応えがあった。
ジョー・ペシはもちろんのこと、従甥ラルフマッチオ、検察側Lane Smith、判事Fred Gwynne、保安官Bruce McGill、Maury Chaykin、Austin Pendletonなど、バイプレーヤーたちもそれぞれが印象的なシーンスティーラーだった。
またマリサトメイが本作でアカデミー助演女優賞をとった。
近年はピーター・パーカー(スパイダーマン)の叔母さんという認識が主流だがトメイはスターダムが長くそれぞれの時代にコアなファンを持っていて旧世代ならこれを挙げる人が多いのではないか、と思う。
かえりみて、なぜいとこのビニーが楽しかったのか思い返すとジョー・ペシのフィアンセがマリサ・トメイだったからというのは大きい。
ふたりはおそろしく不釣り合いだった。
わたしたちはいとこのビニーを知っているからジョー・ペシとマリサ・トメイを見てもいとこのビニーだ──としか感じないが、いとこのビニーを知らない今の人が見ればジョー・ペシとマリサ・トメイのカップルはパパ活、あっちでいうシュガーダディとかエスコートとか、なんにせよおやじとお金で引き留められている若い女という関係に見えてしまうのかもしれなかった。
だがモナ・リザ・ヴィトー(マリサ・トメイ)は当然ながら自らの意志でビニーのフィアンセなのだった。
さらにモナ・リザ・ヴィトーはビニーの背格好を気にしていなかったし、ビニーの法廷での未熟な立ち回りに幻滅することもなかった。ビニーの人となりを愛し、いずれはやってくれると彼を信じていた。といって従順というのでもなく、スコセッシのところではマフィアを演じるビニーを言い負かせるほどにはいなせな女だった。
つまり、そういう気っぷがよくて、一緒にいて楽しくて、人を背格好(見た目)とかで判断しなくて、かつメカニックのエキスパートがフィアンセであるという設定にたいする羨望が、わたしたちがいとこのビニーに好ましさをおぼえる一因子だったのはまちがいない。──のだった。通念上きれいな女はそれなりな男といるものだ。そのバランスが崩れていることが映画的ダイナミズムになることがある。──という話でもあった。
いとこのビニーファンはノー・ウェイ・ホームでのメイ叔母さんの死がよりいっそうこたえたのではないかと思う。
ちなみにimdbにトムホランドが選んだ映画ベスト5選──というのがあって本作が入っていた。当然だろう。