津次郎

映画の感想+ブログ

現代版ハックフィン風寓話 ザ・ピーナッツバター・ファルコン (2019年製作の映画)

ザ・ピーナッツバター・ファルコン(字幕版)

4.5
ハックルベリーは長年の愛読書で村岡花子訳のボロボロの古い文庫をもっている。それは、ベットにあったりトイレにあったり風呂にさえあったりする。なにげなく開いて、開いたところを読む。

この映画はA Modern-Day Mark Twain Fabelと評された。指しているのはハックルベリーだろう。筏で放浪するところと人の純心が似ている。
ちょっと嫌な言い方だが、映画にダウン症の人が出てきたばあい、必ず彼は純心をもっている。Where Hope Grows(2014)もそうだった。

おそらくハリウッドにはダウン症役者枠があると思う。この映画の主演Zack Gottsagenも柔和と朗色を持ち、ダウン症ではない人では、ぜったいに出せない魅力がある。
そんな彼と、リアルライフで逮捕歴を更新するシャイアラブーフの凸凹コンビが、映画の面白さの前提にある。

おイタのエンタメニュースを知っているせいで、映画でシャイアラブーフを見ると、役柄によらずキレっぽさみたいなものを感じてしまう。その硬とZack Gottsagenの柔が、映画に映画的ダイナミズムを及ぼしている。
おそらく意識したキャスティングであり、ふたりはハックルベリーフィンとジムにも重なる──という構造を持っている。

映画はリアルだけれどリアリティにはこだわっていない。たとえば、映画なんだから、きれいな女優が演じているという合理を差っ引いても、この映画のダコタジョンソンはきれいすぎる。一介の施設看護師にはとうてい見えない。

リアリティに対して大らかなのは、この映画の解決方法にもあらわれている。
現実には解決できない話を、映画的飛躍で──強引にまとめてしまう。
滑稽なこけおどし、なだけのピーナツバターファルコンがサムをリフトアップしてぶん投げる。
ただしそれは映画的強引だけれど、この寓話の解決には合致している。それどころか、感動する。
巨体を持ち上げるときスローモーションになって、ザックの力み顔に寄ったとき、目頭が熱くなった。
Mark Twain Fabelが頷ける心優しい映画だった。

ラブーフは公開前にまた何かで捕まって一時は公開さえ危ぶまれた──とwikiに書かれていたが、映画は、いずれの海外評もかれに対する隔意を越え、称賛で占められた。わたしも同意です。