津次郎

映画の感想+ブログ

淑女は何を忘れたか(1937年製作の映画)

4.0
映画に喫煙の描写がある、ことがある。

わたしはいまは(やっと)やめられたが、それまで四半世紀におよんで、ヘビースモーカーだったので、ひとの喫煙にたいして、大らかである。

だが現代社会、喫煙者は、肩身が狭い。

まだ、喫煙していたころ、都市へ出かける用事があると、かならず思うのが、喫煙についてだった。

わたしのような田舎者は「あした、東京か、それならたばこ吸えないな」という風に考える。のである。

都市では、喫煙が、地方よりも厳格に規制されているからだ。

都会へ出たとき、田舎者に見えないように多少は気をつかう、のと同様に、たばこ環境について、しっかり警戒しておく、わけである。
(現在、新型コロナウィルスゆえ、出張はなくなっている。)

禁煙は世界の潮流なので、とうぜん海外でも、喫煙環境は厳格に区分されている。が、映画には、規制が及んでいない。

映画中の喫煙表現がダメになったとか、そんな報道が、かつてハリウッドであったような気がするが、欧米の映画でも、喫煙シーンはある。
もちろん、まったくない映画がほとんどだが、喫煙シーンがある映画は、わりと普通に存在している。たとえばOnce Upon a Time... in Hollywood(2019)など、登場人物は吸いっぱなしだった。

タイピスト!(2012)というフランス映画があった。いい映画だったと記憶しているが、あらすじより、喫煙表現に大らかな映画だったことをおぼえている。

Kogonada監督のColumbus(2017)にも、かなり喫煙シーンがあった。Columbusの街は、美しい建造物があるのだが、それが見えるところで、ヘイリールーとジョンチョーがタバコを吸いながら話していたりする。吸い終わってポイッとして靴で消してる描写もあった。

わたしは映画中の喫煙描写が嫌いではない。現実が規制されているから、その抑圧から解放される気になる。非喫煙者になったいまでもそうだ。

世の中には同じ空間でタバコを吸ったことにたいして、となりで原子炉が爆発したごとくに騒ぎ立てるにんげんが実在する。

わたしは長らく喫煙者だったので知っているが、急進派な嫌煙家ほど、非科学的なものだ。

となりで、タバコを吸ったことが、寿命を縮めるならば、その完璧主義が生活すべてに適用されなければならない。すなわち、コーヒーに角砂糖を入れるのは自殺行為だと見なされなければならないのである。他人に大仰を言うならば、その人の健康管理はコンピューターでなければならない──わけである。

むろん禁煙の場所でタバコを吸ってはいけないし、なにも、規制に文句を垂れているわけではない。わたしが言いたいのは、一部に、喫煙者や不測の副流煙にたいして、ものすさまじい狭量を見せるにんげんが存在しますよ──ということである。

この小津安二郎の「淑女は何を忘れたか」(1937)にも喫煙シーンがある。

桑野通子という女優が出ている。スラリとした長身、絵に描いたような丸顔。役どころの節子は奔放で鉄火肌で気取りがなく、軽快な大阪弁を話す。来歴によると東京生まれの東京育ちだが桑野通子の大阪弁は自然に聞こえた。

ロングコートで、時代を反映して帽子をデートリッヒのように斜めに目深にかぶっていた。それが堂に入って、昔の日本人の印象がなく、封建時代の女性の屈託が見えず、鷹揚で開放的。そして上品でもあった。

映画は小津調になる前。陽性で軽い。
作品がコメディを指向しているので演技は大味だが楽しい。酔って「ヒック」と言うのはドリフの寸劇だけで、それはもうないから現代ではありえない。ゆえに節子が酔って「ヒック」をやると古色だがアドラブルでもある。

節子はたばこも吸う。けっこうな場面でくゆらしている。家でもバーでも、座敷や喫茶中でもたばこを指に挟んでいる。灰を無造作にカップソーサに落としたりする。

家には女中がいて姪の頼みとはいえ御座敷遊びに行くのだから相当裕福な人たちなのはわかる。それ(裕福)が節子の奔放や登場人物の無邪気を支えているとはいえ、喫煙の描写の大らかさに時代を感じないわけにはいかない。

いいとこのお嬢様が喫茶店でたばこを吸ってソーサに灰を落とす──わけである。

喫煙は長い歴史のあることだが、おどろくほど短期間で、おどろくほどラジカルに社会性をうしなった嗜好である。
わたしはすでに非喫煙者であり、なんの不満もないが、この趨勢/方向性がつねにヒステリックなグレタトゥーンベリ型健康推進者に支えられてきたのははなぜだろう、と多少思ったりする。

米企業は被訴訟の宝庫であり、どこかで誰かが企業を訴えているが、2002年にニューヨークの少年少女がマックを訴えた。理由はハンバーガーを食べ過ぎて肥満になったから。マックは太りますよと注意してくれるべきだったと主張した。たびたびこの種の、日本人にとっては型破りな訴訟がなされる。国民性もあるし勝訴することもあるから是非はわからない。

おそらくアメリカでは、肺がんにかかった人が喫煙者を訴える──なんてことも、有り得ないことではないだろう。そのばあい、誰を相手取るかで迷走するかもしれない。

わたし自身が25年以上喫煙者で、喫煙環境の変遷も見てきたので(そんなやつはいくらでもいるわけだが)、言ってみただけである。

ただ、そんな現代では、帽子をはすかいにしてスカーフをアスコットにまいた瀟洒な桑野通子がさりげなくカップソーサに灰を落とす仕草に時代を感じないわけにはいかない。──のである。

桑野通子は戦後すぐ夭逝した。

『大船撮影所にて撮影中にあとワンカットを残し突然倒れ大船病院に運ばれた。4月1日(1946年)に子宮外妊娠による出血多量が原因で死去。31歳没。』(wikiより)

わたしの両親は食堂を営んでいた。厨房裏にゴーとつねにすごい音をたてている油まみれの有圧換気扇がありスツールが数脚置いてあった。そこが喫煙場所になっている。父親が子供だったわたしを手招きする。行くと決まって鼻先にたばこのけむりを吹きかけた。「けむいよう」と言う。慣例のコミュニケーションだった。いまやったら虐待になるんだろうか。