津次郎

映画の感想+ブログ

ナイトブック(2021年製作の映画)

ナイトブック

3.2
ホラーとは幼少期の過酷な思い出を拡大したもの──である。と思う。スティーブンキングのItやスタンドバイミーの子供らはいじめや虐待や孤立をかかえていたが、それらはキングの描く恐怖小説の根幹・原動力だったと思う。

ホラーを創作するばあい、発想の元となる体験が欠かせない。それが戦争でなければ──戦争に代替するのは「幼少期の過酷な思い出」になる──のではなかろうか。漫画にくわしくはないが水木しげるつのだじろう楳図かずお古賀新一日野日出志安孫子素雄あるいはガロの作家群・・・。いみじくも「このうらみはらさでおくべきか」という決めセリフがあるが、いじめ体験で憶えた復讐心に他ならない。と思う。

わたしは素人なのであるていど切り取ってモノを言って(=限定的な知識で判断する)しまうが、作家が辛い体験を持っているのは当たり前だ。ようするに痛みを知るほど肥やしになる──物語の作り手たるひとが、順風満帆なじんせいを歩んできたはずがない。

((余談ながら)個人的な見解だが、逆にミュージシャンはいじめっこ(加害者)の発展系であることが、傾向的に多い──気がしている。
五輪の音楽担当を降りた人物しかりだが、わたしが若いころ定期購読していたロッキン系ライターには反抗=レイジを是とする風潮があった。例の記事をリアルタイムで読んでいるが、あきらかに面白がって掲載していた。かれが言いたいのも、雑誌が言いたいのも、まちがいなく「すげえだろ」ってことだった。まちがいなく、その尖りまくった加害属性を「ロックである」と定義していた。
昨今、音楽フェスでの(禍を無視した)無秩序な風紀が話題になっているが「若者のオンガク」が反抗を是とするのは当然であり、ロックとは逆らうこと、そのもの。ヒップホップなんて尚更。ごく自然な通念だが、腰パンのような輩風体に品行は期待できない。そもそもまっとうな人間はこの時期にフェスに行こうとは思わない。
ただし現代社会が完全に忘却してしまった前提だが、視聴者はともかく、かつてロックやヒップホップとは、まっとうな人生を捨てた者がやるオンガクだった。SNSにすいませんと言うのは会社員であってロックアーティストじゃない。よって、あたかも尖った世捨て人の個性──のように例の記事は掲載されていたのであり、読んだ我々も(胸糞悪くなったとはいえ)尖っている話としてとらえていた。ところがある。
畢竟、クリエイターにはいじめられっ子がなるが、ミュージシャンだけはいじめっ子がなる(ことが多い)──の現象を(個人的には)信じている。)

本作にはスティーブンキングにつうじる良質なジュブナイルの肌感がある。それを体現しているのはべらぼうに(演技が)巧い子役の存在。
主人公はキングの小説に出てくるような「おとぎばなし語りが好きな少年」だが、その異質性のために孤立している。彼の悲しみが、この映画の主題と言っていいし、子供を主人公にした話が(キングのItに似た)ある種の普遍性(=いい意味の類型性)を持ってしまうのは至当だと思う。

主人公の子役Winslow Fegleyくんの表情がものすごく豊か。日本ならば絵に頼らなければならない表現力を、あっちでは実写でやってしまう、のが(今更ながら)やっぱりすごいと思った。アスターやピールやワネル(etc)同様David YaroveskyもBrightburn(2019)によって将来を嘱望される監督のひとり。製作にサムライミもからんでいて、映画はNetFlixで過ごす一夜──の必要条件を過不足なく満たしていた。と思う。