津次郎

映画の感想+ブログ

虐殺と戦争の闇 アイダよ、何処へ? (2020年製作の映画)

アイダよ、何処へ?(字幕版)

4.0
U-NEXTの新規入荷にあったので見ました。
スレブレニツァの虐殺を描いた映画。
知らなかったので調べました。

『1995年7月11日ごろから、セルビア人勢力はスレブレニツァに侵入をはじめ、ついに制圧した。ジェノサイドに先立って、国際連合はスレブレニツァを国連が保護する「安全地帯」に指定し、200人の武装したオランダ軍の国際連合平和維持活動隊がいたが、物資の不足したわずか400人の国連軍は全く無力であり、セルビア人勢力による即決処刑や強姦、破壊が繰り返された。
その後に残された市民は男性と女性に分けられ、女性はボスニア政府側に引き渡された。男性は数箇所に分けられて拘留され、そのほとんどが、セルビア人勢力によって、7月13日から7月22日ごろにかけて、組織的、計画的に、順次殺害されていった。殺害されたものの大半は成人あるいは十代の男性であったが、それに満たない子どもや女性、老人もまた殺害されている。
ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦行方不明者委員会による、スレブレニツァで殺害されるか行方の分からない人々の一覧には、8,373人の名前が掲載されている。』
(ウィキペディア、スレブレニツァの虐殺より)

安保理が定めた安全地帯に2万を超える避難民が集まってきます。そこはただの倉庫で食糧も水もトイレもありません。オランダ軍のPKOは武装しているものの本体からの支援が得られず傍観者も同然になっています。したがって避難民の運命は将軍をふくめ全員が暴徒化したセルビア人の雑兵に委ねられます。

『ある生存者によると、平和維持活動中でありながらこの状況に対して何もすることができずにいるオランダ人国連軍兵士のすぐそばで、子どもの断首、女性の強姦が行われていたと述べている。この人物によると、あるセルビア人兵士が子供の母親に対して、子供を泣き止ませるよう命じた。子供がその後も泣き続けると、セルビア人兵士は子供を取り上げて咽喉を切り、笑ったという。強姦や殺人の話は群集の間に広まり、彼らの恐怖を一層激化させた。難民の中には、恐怖のあまりに首をつって自殺を図る者もいた。』
(ウィキペディア、スレブレニツァの虐殺より)

主役/視点は国連軍が通訳として現地調達した教師のアイダです。原題はQuo vadis, Aida?。そんなタイトルのローマ史劇がありましたが「クォ・ヴァディス」とは「主よ、何処へ行かれるのか?」という意味だそうです。

リアルで打たれますが食欲をなくす種類のむごい話です。ご覧になるのをお薦めしません。じぶんも「見なきゃいけない」というある種の義務感にかられて見た──に過ぎません。

見なきゃいけないという気持ちになっていたのは、いうまでもなく今、ロシアのウクライナ侵攻(2022/02/24~)が行われているからです。

侵攻の初端でゼレンスキ―大統領が「みんなも戦ってくれ」とか「火炎瓶をつくってやっつけろ」とか、呼びかけていたのに、じぶんは驚きました。現代戦に対して、また圧倒的な兵力差に対して、無邪気な気がしたからです。

もし日本だったらこのような呼びかけをしないと思います。「命を守る行動を取って下さい」とか、言うと思います。

戦中なら「竹槍をつくって敵を撃退しよう」と呼びかけたかもしれませんが、今のように長く平和を享受してきた社会/国民に対して、いっしょに戦おう──なんて言うはずがない、と思うのです。

ただし、露・ウの状況を注視してきて、その間に、民間人が亡くなったり、住宅や非軍用の施設が爆撃を受けたり、地下で少女が泣いている画がでたりした後では、ゼレンスキー大統領の初端の呼びかけ「いっしょに戦うんだ」も総動員令も理解できました。

いや、むしろ戦わないでどうする?国の興廃はこの一戦にある──。ゼレンスキー大統領は端から、既にその決意を持っていたはずです。

だけど戦争の恐ろしい部分は(わたしは(もちろん)戦争について一切知りませんが)──戦争の恐ろしい部分は、どちらかが武装解除された後の蹂躙だと思います。
戦争の恐ろしい部分は「わかりました。でも約束は守って下さいよ」と言って武器を捨てたあとに、相手の腹に渦巻く闇──だと思います。
この映画はそれを描いている。と感じました。