津次郎

映画の感想+ブログ

チャッキーの妹 アネット (2021年製作の映画)

アネット

──

RottenTomatoesが71%と76%、IMDBは6.3だった。
RottenTomatoesやIMDBをよく見るじぶんとしては逡巡を感じる点だった。
つまり、なんかどっちつかずで迷っている点だと思った。

なぜそうなるのかというと批評家には素直なタイプとそうでないタイプがいて、とりわけ芸術値の高い映画では、素直じゃない批評家がじぶんの本当の気持ちに反する雷同型支持を投じるために、結局まあまあな点へ落ち着くことになるから──なのだった。
が、アネットは、良いか悪いかわからないかのどれかであって、まあまあな映画じゃない。

じぶんもこの映画がわからなかった。
ちなみにわたしはレオスカラックスの映画を楽しんだことがないのでレオスカラックスを見るのは“鑑賞に挑戦してみた”という感じになる。
ただしわからないとはいえレオスカラックスに才能があることはわかる。それがわかるので“鑑賞に挑戦してみた”のだった。

これが無能な監督ならば、はったりの芸術値に対して酷評で突撃することができるが、なにかを持っていることが画の端々から伝わってくる映画は、ないがしろにできない。だから、わかろうと思ってしょうこりもなく“鑑賞に挑戦してみた”のだった。

けっきょくわからなかった。

レオスカラックスをわからない人が原稿料がでるレビューを書くばあいに、かれ/かのじょは高い確率で「素直じゃない批評家」になるのだろう。とわたしは思っている。
この現象はゴダールと同じで周囲に権威主義的orスノッブな批評家層をつくりやすい。

ただし基本的に無学な労働者がカラックスやゴダールを見ることはない。
すなわち“鑑賞に挑戦してみた”とは、無学な労働者であるわたしが分もわきまえずに見てみた──という意味でもある。

さらに、カラックスやゴダールを見るには鑑賞者の知的レベルにくわえ、経済的状況や気分にも、ある程度の余裕が必要だ。
無学で貧困で気分が落ち着かないとアネットなんか見たってイライラするだけである。その証拠に無学で貧困で気分がよくないわたしはこれを見てイライラしただけだった。

それでもこの映画に対する“めくるめく音と映像”とか“独創的”とか“華麗で大胆不敵なミュージカル”などといった賞賛の言葉が、わからないわけではない。
たしかにそういう映画だったとは思う。

しかし案の定もっとも初歩的なミュージカルに対する懐疑「なぜセリフを歌うのか」でつまずいた。
言うまでもなく「なぜセリフを歌うのか」でつまずく人は、ぜったいにこの映画を楽しめない。
もっともぜったいに「なぜセリフを歌うのか」と感じるに違いないと予測して見たのでその意味ではほぼ予測どおりの映画だった。

とはいえ、すべてのミュージカル映画が「なぜセリフを歌うのか」の懐疑で楽しめなかったわけではない。たとえばLa La Landもディアエヴァンハンセンも楽しんだ。
だが個人的に米英欧の映画監督はミュージカルの「なぜセリフを歌うのか」という観客の懐疑心を軽視しすぎている気がする。
なんかミュージカルは舞台のほうが似合うような気がしてならない。(舞台は見たことがないけれど。)

情報によるとSimon Helbergはこの役を得るためにフランス語を学んだばかりかフランス市民になったそうだ。(関係ない話だがSimon Helbergの物真似(とくにニコラスケイジ)は最高に楽しいのでおすすめしたい。)
降板者にはルーニーマーラ、リアーナ、ミシェルウィリアムズがいたそうだ。クリステンスチュワートもオファーされたそうだが歌が下手だからと言って辞退したそう。

わたしはわからなかったので評点不能だが、RottenTomatoesで、とある批評家がチャイルドプレイを引き合いにしていたのに共感した。その批評家は、チャッキーの妹が出てくる退屈で滑稽なストーリーだと述べていた。

たしかに長い映画中、人形のアネットがギラッというかんじでチャッキー化したらどんなに楽しかっただろう──とわたしは思ったのだった。わら