津次郎

映画の感想+ブログ

速いは強い ザ・フラッシュ (2023年製作の映画)

ザ・フラッシュ

4.0

<ネタバレあり>

ほかのヒーローの冠映画でいちばん速いってことはフラッシュがいちばん強いのではないかという懐疑をもつことがあった。走り出すとみんな止まっているわけだから、なんでも細工できる。冒頭で高層ビルから障害物や危険物とともに落っこちてくる看護師と9人の赤ん坊と1匹の犬をストレッチャーにならべてはいどうぞってやるのはヒーロー映画とはいえすごかった。看護師さんがギャー形相で絶叫しているのは笑った。男の子的にも周りがぜんぶ止まる速駆けと物質透過があればうれしいかなと思う。

SFの禁忌で過去の自分に会ってはいけないとか過去を変えてはいけないというのがあるが、そこに踏み込んでくるプロットをもっている映画がさいきん多い気がしている。
エンドゲームとかノーランのテネットもそんな話だったと思うが、過去に行くプロットもあらかた煎じられてしまったので芸を加えてメタ化やセルフパロディをしたりする。それがノーウェイホームや本作だろうと思う。
過去演者ににわかなカメオ需要に生じることで懐かしい人が出てきて話題につながるし、71歳のマイケルキートンがバットマンを演じることで、メタ化は懐古と同時に年をとってもがんばるぞの応援歌にもなっていると思った。

フラッシュはほかのヒーローよりも笑いへ振っていてエズラミラーもそれにこたえている。シャイアラブーフみたいに紊乱でゴシップ誌をにぎわす人で逮捕歴もなんどかあるようだが、ウォールフラワーの上級生の役やファンタスティックビーストでの暗い役など器用な印象があり、ここでの自分自身の二役も精妙にこなしていた。他キャストではSasha Calleという俳優が演じたスーパーガールがしぬほどかっこよかった。ショートヘアとスーツのフィット感と暗いキャラクターがヒロインを新生させていたと思う。

いろいろ考えずに楽しめる映画だが過去に戻るという構造は二律背反であると映画は言っている。こっち側のブルースウェインもあっち側のブルースウェインも過去を変えればすべてが崩壊してしまうぞと注意している。なぜならブルースウェインは両親をころされてしまったことによる憎しみをバネにしてバットマンになったわけである。両親をころされなかったらバットマンにならなかったわけである。ブルースウェインがバットマンにならなければ他のこともいろいろ変わる。どこがどう変わるというようなことではなく、なにもかもすべてがバラバラに変わる──というのびのびたも知っているタイムトラベルの基礎知識を図解してみせている。
ただしブルースウェインはじつのところ現世が崩れるから注意したというよりは、今の自分をつくったのは過去だから変えてはいけないのだというヒューマニズムの見地から諭したわけである。

なぜそのように考えるのかというとコミックヒーローたちはマルチバースの住人だからだ。今じぶんはこの世界でこの人生をやっているが、ほかにも何通りものじぶんが存在して、あらゆるパターンの人生がパラレルに同時進行している──という理屈の上に生きているからだ。

バリーアレンが速駆けして世界を変えてもほかのチャンネルのじぶんに成り代わるだけのことだ。そういうことなら、実存に立ち返って、今じぶんがやっているこの世界とこの人生を、しっかり生きることのほうが重要だ──とブルースウェインは言いたいのだ。

が、バリーアレンに過去を変えると大変だぞと諭す一方で、強引に止めはしなかった。どのみちやってしまう奴はやってしまうのだし、それが巨悪でなければ起こりうることを、なすがままにすることもひとつの達観だからだ。だからこっちのブルースウェインもあっちのブルースウェインもバリーアレンにやんわりやめとけとしか言わないしそれがとても大人に見えたのだった。

結局バリーアレンは自分の思い出のなかに母親がいる現世を納得するまでに成長を遂げるわけだが、彼のいってみればわがままによる時代遡行で世界がぐちゃぐちゃになってしまったわけである。かんがみれば自分でひきおこして自分でまとめる話だった。とはいえ新旧スターが顔見せするメタはやっぱり楽しかった。

アンディムスキエティ監督はホラーのmamaで注目されITで立身した。WBは次々と気鋭の監督にしごとを振っているがDC作品やマーベル作品というのは巨大プロダクト過ぎるので監督の色が出るわけではない。だけどできない監督には振らないのでやっぱり王道な仕上がりをする。毎度ながらDCやマーベルのクオリティ保証はすごいと思った。
あとバリーアレンの与太友にDerry GirlsのSaoirse-Monica Jacksonがいたのがよかった。