津次郎

映画の感想+ブログ

見過ごしていた大作 タイタニック (1997年製作の映画)

タイタニック

3.5

はじめて見た。
映画を結構見るのだが話題作を見過ごしていることがある。
反発しているつもりはなく、たんに見ないまま過ごして今に至った。

航海から110年、公開から26年経って見たので時間経過(タイムラグ)によって何か面白いことが書ける気がしていた。

ところが見ても特に感じるところがなく「へえ」という感じだった。
タイタニックが悪いわけではなく、長い間タイタニックを見たような気がしていた──ことがタイタニックを「へえ」にしてしまった。

公開されてからしばらくはディカプリオとウィンスレットのあのポーズをいろんな人たちがいろんな局面でやった。
なにかにつけセリーヌディオンがかかったしなにかにつけパロディで盛り上がったのですっかり“見た気”になってしまった。「階級のちがう男女が恋におちて船が沈没するんでしょ──もう知ってるよ」という感じだった。

2023年6月、海の底のタイタニック号を見に行った潜水艇が事故をおこした。
沈没から100年以上も経っているのに物好きかつ危険なツアーが組まれるのは映画タイタニックの影響力・周辺需要だと思う。それだけ多くの人々に影響を及ぼした映画だった。

興行成績ナンバー1だったので生まれてはじめて見た映画がタイタニックだったという人も当然多いと思うが、わたしが生まれてはじめて見た映画はレイズザタイタニック(1980)だった。正月映画というのも時代的だが1981年の正月映画だった。

レイズザタイタニックはその名のとおりタイタニックをひき上げるという映画で、当時その浮上シーンがド迫力であると喧伝されていた。

IMDBのレイズザタイタニックはここ数年で評価点を少し上げていて2019年10月にレイズザタイタニックのレビューを書いており、そこにIMDBの点が4.8だったと書いているのだが、今(2023/09)見たら5.1になっていた。日本語ウィキペディアもかつては簡便な紹介のみだったが情報が加筆されていた。

レイズザタイタニックの評価点が上がったのも“タイタニックの周辺需要”によるものだと思う。映画タイタニックには巨大な影響力があり、その影響力からくるタイタニックの“周辺需要”によって無関係なレイズザタイタニックが評価点をあげた──と見ている。

そんなモンスター映画を長年見た気になっていて、やっと見たのだがとくに感じることがなかったという話。

──

ちょっと気になったのは船内から逃げるときのまどろっこしさ。
ジャックとローズはたんに観衆にスリルをあたえるため、あるいは映画の尺をうめるために浸水した船内に留め置かれる──と感じられるシーンが散見された。

ジャック(ディカプリオ)が室内のパイプに手錠でつながれていて、それをローズ(ウィンスレット)が助けようとする。
危険を顧みず浸水中の船内に戻り、つながれたジャックを発見するもジャックに「助けを呼んで」と言われてまた戻り、すでに誰もいないから斧を持ってまた戻ってくる。

で、斧で手錠の切断を試みるのだが、間違って斧を手に振り下ろしたらたいへんなので、ほかのところに振り下ろして一度練習してみる──ということをする。行為の意味は理解できるものの『斧で手錠を切断するとき、間違って手に振り落としたらたいへんだから、ほかのところで一度練習してみる』という作業風景は映画的ではない。ことごとく流れが削がれた。

キャメロンには史実へのこだわりがあり、氷山との衝突から水没までの2時間40分を映画の尺にあわせた──とのことだったが、そのこだわりがまどろっこしさを生じさせているし船内の仕切り扉にも鍵がかかっていて、ジャックとローズをスリル提供および映画の尺あわせのために船内に足止めさせた──の感は拭えなかった。

むろんそれらは些細なことに過ぎないし、製作費も興行成績も世界ナンバー1(公開当時からしばらくは1位だったが現在はちがう、とはいえ)のレジェンダリーな映画なので、長い尺さえも“箔”といえる。

が、個人的にはアバターの新作を見た感想に似ていて、キャメロンはうまいしすごいが、ひねくれたわたしにとっては健全すぎて退屈に感じてしまうところもあった。言うなれば行儀のいいリドリースコットでけっきょくタイタニックを見てもキャメロンのいちばんがアビスなのは動かなかった。

鉄板だけどアビスでエドハリスが息を吹き返さないメアリエリザベスマストラントニオに向かって「きみはたたかうのがすきだろ」と叫んで胸を叩くシーンあったでしょ。俺が若かったってせいもあるけど、あれのほうがジャックとローズよりも感動の愛だったと思うな。