津次郎

映画の感想+ブログ

監督、アフターもやる気まんまん 映画 みんな!エスパーだよ! (2015年製作の映画)

1.0
池田エライザのwikiに以下のようなエピソードがあった。
『2015年、園子温監督の映画『みんな!エスパーだよ!』のヒロインに抜擢され、本格的に女優活動を開始する。同映画への出演はオーディションでの採用だったが、園に自身の映画をどう思うかと聞かれ、素直に「嫌いです。血みどろだったりセックスだったり、でも最終的には家族の愛なんてどんだけシャイなんだ」と答えたところ、受かったという。』(wikiより)

なんにも知らない素人の感想だが、映画のオーディションで、そういう採択をする映画も監督も、どうなんだろう。ビビッと来るものがあった──というような感じなんだろうか。興味深い逸話ということになるんだろうか。
ついでに言うなら池田さんは、直感でやってしまう監督の根性主義を見抜いていたからこそ、嫌いからのシャイに言明したわけである。
でなければオーディションへ出る意味がない。
断片エピソードに過ぎないが、頭のいい人なのだろう「家族の愛なんてどんだけシャイなんだ」とは、およそこの監督の大好物であろう表白である。ましてあのエキゾチックな風体で吐かれたら、おじさんはコロッと参るに違いない。自分を知り相手を観察した人の戦略的な発言だと思う。
ただ、まんまと策に中たって驚いたのは彼女自身だったかもしれない。

とうぜん実体は知る由もないことだが、映画産業というところは、厖大な予算を使って、大艦巨砲な監督が、昭和キネマ戯画みたいなことをしているんだなあ──と思った。
そんな監督が海外で大絶賛されたと半ばお抱えのマスコミに持ち上げさせるたび、わたしはいったいどこの海外なんだろうと思う。もし根性論が通用する映画産業があるなら、わたしはユネスコの世界遺産登録署名運動を惜しまない。日本人がこの監督の見せる世界観に感じ入ることがないのであれば、いわんや海外をや、である。

ただもちろん、ビビッときてパンチラと残酷で売り込んできた監督が、曲がりなりにも日本を代表する映画監督に登り詰めたこと──のほうが、遙かにすごいのであって、なんであれ、庶民の歯ぎしりを一蹴せしめる立脚地を確立しているわけである。

ひるがえって、日本にいい映画がないという世代にまたがる嘆きの素因は、観衆の側にある。見る目がないから、いい映画がなくなっていったのだ。──自分のことは差し置いて、そう思うことがよくある。それ以外に山っ気なクリエイターが台頭する現象を説明できる構造はないんじゃなかろうか。

この映画に対する率直な感想は「楽しそう」である。
もしわたしが17歳だったら、クリエイティビティなんか一切無視して、半裸のきれいな女優さんたちと徹底的に馬鹿なロケーションをするためだけに映画監督になろう──と考えるに違いない。おそらく、それを目当てに昭和のブルーフィルムに群がった人々が、玉石混交とはいえ、今は日本映画界の重鎮たちなわけでもある。
日本映画を鑑賞するなら、あるいは映画を目指すなら、我々のオリジンが、もはや海外とは桁違いに拙いところから出発していると考えるべきだ。
海の向こうでは、女優がCapharnaümやLady Birdを撮ってしまえる冷徹やペーソスを持ち得る。日本の俳優は映画をつくれるだろうか──そういう過剰一般化の比較には意味がないとはいえ、戦時中に外国映画を見た人たちが共有した「かなわない」という感慨は、今日スポイルされたんだろうか。

しかし中高生向けエロである。だれ一人として脱いでいない。
出演女優は全員が、エロとパンチラはOKだけどトップレスはNGというアクロバチックな合意のもとに、嬉嬉としてぬるい限界に興じ、それでもチラ見せが絶賛報道される類の有名人たちだ。そもそも彼女らを迎え入れるのは映画の批評などではなく芸能人の自撮りにかわいいを連日コメントし続ける人々の底なしの許容度である。

とはいえ、中高生だって拙劣を見いだすかもしれない。PGレイトのどんなエロドラマにでも出てくる「テンガ」ネタに欠伸を漏らすかもしれない。よもやこれを大人が見ても楽しいと本気で考えているのだろうか。

ただ映画は原作がある以上、くだらないとは言えない。よしんばくだらなかったとしても、くだらないこと自体になんの問題もない。誰でも積極的にくだらないものが見たいと思うときがある。
でもこの監督のばあい、どうしても「楽しそう」のあとに「だろ?」が入ってくる。
著名な女優たちを思いのままに扱える既得権を誇示しているように見える。とりわけリアル鬼とこれはそうだ。いわば置屋の主人が獲得した妾たちを見せびらかしているように見える。
それは疲れる。くだらない映画の最大の効用であるはずの癒やしが削がれる。
この監督の映画を見ていると、たとえるなら、桐島の前田涼也が、押しの強い自信家な映画部先輩の隣で、先輩の自信作を見ている気分、になるのである。

その示威が監督の特徴だと思う。
「楽しそうだろ?」「すげえだろ?」「残酷だろ?」「感動もんだろ?」「エロいだろ?」
なぜか俺様が感じられてしまうそれらの承認欲求が同監督の最大のカラーで、やっぱりそれは映画とは別物のスタンスだと、個人的には思っている。